ブックタイトル山口大学記念誌  「志」つなぎ伝える二百年

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概要

山口大学記念誌  「志」つなぎ伝える二百年

12"12ケイセン講堂の内部 東京大空襲で軍需工場が壊滅的被害を受ける直前、兵役に取られ兵庫の航空隊で敗戦を迎えた僕は、職も目的も失った20歳の春秋を無為にすごしていた。おそらくは新しい就職口をもとめて、県庁所在地の山口市に行ったそのとき、占領軍将校に対する諏訪根自子の誇りにみちた姿を目撃したのだった。民族・国境を越えた芸術というものの正体に搏たれたその瞬間、工業専門学校進学を志していた僕の目的は急旋回した。 1950年春、山口大学教育学部に入学した僕は25歳、大学教育を受けてみたいという僕と同じ懸命の気持ちを抱く年嵩の学生がほかに2名いた。T君は小学校教員の経験を持ち、僕より1つ年上、M氏はすでに30歳の元陸軍大尉、南方から復員、士官学校出身の彼は戦犯容疑でいったんは巣鴨拘置所に収容されたが、無罪放免されたのち一念発起して新制の大学に入ってきた。この長身の剣道マンを、僕たちだけでなく教授の一部までが「キャプテン」とよんで親愛した。画家志望のT君はクラシック・ファンで、下宿先にポータブル蓄音機とたくさんのSPレコードを持ち込んでいた。僕がベートーヴェンに入れ込んだのは彼の影響である。 他の学生たちから「年寄り組」などと呼ばれることもあったが、晩学の僕らは戦争で奪われた青春を取り戻した思いで、角帽をかぶり若い人々にまじって精一杯生き生きと活動した。大学祭では演劇の裏方として参加し、合唱団「メンネルコール」の一員にまぎれこんだりもした。 思い出深いのは映画鑑賞会「若葉会」のことである。若葉会については山口大学経済学部第1回卒業生の松野浩二氏が著書『奮発振動の象あり』に詳しく触れておられる。若葉会の創設は"