ブックタイトル山口大学記念誌  「志」つなぎ伝える二百年

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概要

山口大学記念誌  「志」つなぎ伝える二百年

136発足から解体まで 文理学部は現在の人文学部と理学部の前身であり、昭和24(1949)年6 月1 日、山口大学開学とともに発足し、昭和53(1978)年に人文学部、理学部の発足によって解体している。発足から解体までの詳細な経緯は、『山口大学30 年史』に記されており、遠い過去の出来事の感があるが、文理学部が文系・理系の基礎を担う大学教育の中核的存在であったことを思えば、その成り立ちを知ることには意義があろう。文理学部の直接の母体は、大正8 年に設立された旧制山口高等学校である。発足当初、校舎は糸米にあったが、5 年後の昭和29(1954)年、後河原に移転した。この後河原の時代まで学部の建物は木造であった。校舎は昭和43(1968)年10 月、吉田に再度移転するとともに鉄筋コンクリート製となった。この建物は平成14(2002)年の大規模改修を経て、現在でも理学部1 号館として使われている。文理学部の改組 文理学部は、文学科と理学科からなり、一般教育課程も併せ持つ独特な存在だった。いずれの学科も基礎的学問分野を主体としており、大学教育の中核となるに相応しいアカデミックなものだったが、両学科には、教育・研究いずれの面でも相互の関連や接点が乏しく、発足当初から単一学部として大きな矛盾を抱えていた。昭和41(1966)年には教養部が文理学部から分離独立した。文理学部の改組による文学部と理学部への分離は早い時点から望まれていたが、改組を議論する将来計画委員会が設置されたのは、昭和49(1974)年のことである。長い討議が重ねられた結果、昭和53(1978)年6 月17 日、ようやく文理学部改組が実現し、人文学部と理学部の発足によって文理学部はその歴史を終えた。1 新制大学以降の学部のあゆみ1 - 1 文理学部昭和24(1949)年旧制山口高等学校は山口大学文理学部として発足 (文学科、理学科)昭和29(1954)年糸米から後河原へ移転昭和41(1966)年教養部が文理学部から分離昭和43(1968)年山口大学の統合移転に伴い亀山地区から吉田キャンパスへ移転昭和49(1974)年文理学部改組の将来計画委員会設置昭和53(1978)年文理学部解体 人文学部、理学部発足