ブックタイトル山口大学記念誌  「志」つなぎ伝える二百年

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概要

山口大学記念誌  「志」つなぎ伝える二百年

140年、衛生検査技師学校は臨床検査技師学校となった。 昭和54(1979)年、医療を取り巻く環境の変化に対応し、高度な医療を維持できる優れた医療技術者を養成するため、国立大学として14 番目となる医療技術短期大学部が山口大学に併設された。 昭和55(1980)年1 月23 日付の朝日新聞に医療技術短期大学部の開学に関する記事が掲載された。開学当初の入学定員は、看護学科が80 名、その後の衛生技術学科は40名であった。初代の主事であった松本昇先生は、診療放射線学科や理学療法学科などの開設も構想にあったようである。さらに、4 年制教育機関への昇格も目指していた。 「心に愛を、手に技を」をスローガンに、教官・学生の熱意もあり、当初から国家試験の合格率は高く、平成元(1989)年の「ウベニチ(地方新聞紙)」にも、看護師、臨床検査技師国家試験に両学科とも2 年連続で100%合格の快挙を成し遂げたとあった。 また、医療技術短期大学部は短期大学であったため、専門教育を受けるための基礎教育として、また、人間性・社会性の形成として、心理学、統計学、数学、物理学、化学、生物学、英語、保健体育等の教育も行われた。社会との接点(地域活動・国際交流) 昭和58(1983)年から、一般市民を対象とした公開講座を開始し、同年9 月に「楽しい周産期の過ごしかた」、10 月には「明るい家庭と健康生活」が行われた。その後も継続して行われ、昭和60(1985)年4 月からは医療関係者のための継続教育講座が一般教育科、衛生技術学科、看護学科の教官が年6 回程度交代で開催していた。 昭和63(1988)年には山口大学・山東大学学術交流協定締結の一員として、松本医療技術短期大学主事も記念講演を行い、さらに友永先生がカルフォルニア大学医学部ロサンゼルス校解剖教室に文部省在外研究員として海外留学された。 また、1985 年には1 年間ブラジルからの留学生を迎えた。先進医療への対応 平成の時代となり、医療は高度化し、医療に対する社会の期待も徐々に大きくなった。医療環境の変化から保健師や助産師数の増加も社会の課題となってきた。これら医療技術の高度化・社会ニーズに対応するために医療短大(3 年生)から大学保健学科(4 年生)への移行が国の政策となり、平成12(2000)年に医学部保健学科が開設され、平成15(2003)年、ついに医療技術短期大学部はその役目を終了し廃止された。