ブックタイトル山口大学記念誌  「志」つなぎ伝える二百年

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概要

山口大学記念誌  「志」つなぎ伝える二百年

149【第2部】2 学部・大学院等の発展現状と課題 現在の本学部は、入学定員385 人(収容定員1540 人)を抱え、経済、経営、国際経済、経済法、観光政策、商業教員養成課程および職業会計人コースという5 学科1 課程1 コースを擁している(平成24 年度末現在)。専門分野の多様性と共に、その連携による経済の総合的教育・研究体制を構築している点は、本学部の最大の特徴である。 しかしながら、少子高齢化の進行する社会情勢下で、このような大規模な学生定員を維持することは次第に困難になりつつある。また、経済学部のゼミナールによる少人数教育重視の伝統も、法人化以降の教員数漸減などにより、その実態は「中人数教育」に近くなってきているのが現状である。 高度成長期・バブル期以来の経済人の大量育成路線を改め、伝統の「少人数教育」に立ち戻って、一人一人の学生に目の行き届いた教育を行い、その資質を高めて社会に送り出す学部へと、変革を迫られている。その変革を経ずして、創基二百周年以降の展望は開けないのではないだろうか。東亜経済研究所 本研究所は、法人化以前についに省令化はかなわなかったが、山口高商以来の伝統ある研究機関である。 経済学部の前身である山口高商は、東アジア経済に関する教育・研究の拠点校としての特徴を有し、昭和8(1933)年にその付属研究機関として設置されたのが東亜経済研究所である。しかし、終戦によって東アジア地域とのつながりや重要性が失われた結果、昭和21(1946)年にこの研究所は一旦閉鎖されることになった。 新制大学への移行当初、経済学部は関門経済の研究など、地域経済研究を学部の新たな核にしようと試みた時期もあった。しかし結局、昭和32(1957)年に東亜経済研究所を再設置し、その機関誌としての『東亜経済研究』も復刊するなど、東アジア経済に関する本格的な資料収集・調査研究活動が再開された。この東亜経済研究所には、戦前以来の貴重な東アジア経済社会に関する資料が膨大に所蔵されており、その学術的価値は極めて高い。昭和52(1977)年に国際経済学科が新設されたことにより、東アジア経済に関する教育・研究の受け皿も整備され、本研究所の存在意義もますます高まった。 この間、吉田キャンパス移転後の東亜経済研究所は、経済学部棟の一角に置かれていたが、平成20(2008)年、株式会社ヤマコー代表取締役山田宏氏による多額の寄付によって東亜経済研究所棟が新たに竣工することになった。この研究所棟は、山口高商卒業生である山田氏の御祖父君の尊名を冠して「山田孝太郎記念館」と命名された。建物の完成とともに、研究拠点としての新たな飛躍が期待される。商品資料館 明治38(1905)年の山口高商創設以来、商品学の授業の研究資料として各種商品の収集が始められ、明治41(1908)年に商品陳列室が設置された。その後も一貫して商品資料の収集が続けられ、平成7(1995)年には商品陳列室を発展的に継承する形で商品資料館が建設された。この資料館には、永年にわたって収集された主要な産業の商品や輸出入品など約八千点の貴重な資料が収蔵されている。特に戦前の主要な輸出入品の収集は、品種、数量ともに他に類を見ないものであり、産業経済の実証的教育研究の伝統継承及びその発展に資する役割を果たしている。