ブックタイトル山口大学記念誌  「志」つなぎ伝える二百年

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山口大学記念誌  「志」つなぎ伝える二百年

15"15【第1部】志1わが青春のケイセン講堂山口にて(1950年)20巻をすべて暗記しているという恐るべき碩学だった。この人からはほかに世阿弥の『風姿花伝』を受けたが、すべて口伝調の講義だった。 M先生の最終学歴は尋常高等小学校という。あとはすべて独学と検定試験で、師範学校の教官となり、横すべりで大学に移った。すでに定年近い年齢だが「万年助教授」なのは、その経歴のせいだという。学歴偏重の理不尽を感じさせることだった。M先生の講義は突然低俗な世間話となり、「あのなあ、世の中でいちばん偉いのは私ら大学の先生ですよ」などと言ったりする。この人の深い学殖に畏敬の念を抱く反面では、僕自身の俗物性を棚にあげ、その知性の香りのなさに辟易して微苦笑させられることしばしばであった。青年時代、大学キャンパスの洗礼を受けていない人、「学の鉄鎖」の権威に脅えた経験のないことからのスノビズムといえるのかもしれない。たといわずかな期間でも「最高学府」の空気に身をひたしておくこと、「学の鉄鎖」の洗礼を受けておくことが大事なのだということを、反面教師として実感させてくれたのはM先生だった。なつかしい恩師のひとりである。 キャンパス生活の収穫は知識の吸収とは別に、この「学の鉄鎖」を体感することだと僕は思っている。大学に入ってろくに勉強もせず、自動車クラブで車の免許をとったり、遊びに夢中の学生を少なからず見たが、「学の鉄鎖」の臭いを嗅いだだけでも、無意識のうちにその人間の形質は影響を受けているのだ。 短い期間ではあったが、僕の青春は山口大学のキャンパスの中で全開したのだった。社会人生活を捨てて、冒険心を抱き飛び込んだ学巣に澱むある種の権力臭に脅えもした。僕にとっての「学の鉄鎖」が、自分の運命を強引に折り曲げ、予期せぬ方向に突き放してくれるかもしれないという期待もあったが、それは遂げられたと思っている。 わが青春のケイセン講堂は、キャンパスの吉田移転によっておよそ1世紀の歴史を閉じた。今そのあとには県立美術館の建物が載っている。"