ブックタイトル山口大学記念誌  「志」つなぎ伝える二百年

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概要

山口大学記念誌  「志」つなぎ伝える二百年

16"162創基200周年、「志」をたどる~山口講堂から新制大学まで藩校明倫館 江戸時代後期、各藩でおこなわれた藩政改革において、改革の重要な軸のひとつとみなされたのは、教育であった。ゆらぐ幕藩体制のなかで、時代をみすえた政策を進めることができる、有為な人材の育成が期待されたのである。 周防と長門をおさめていた萩藩もまた、教育に力を注ぎ、藩校明倫館を核として、領内に郷校、寺子屋、私塾などをもうけて、明倫館を範に教育をおこなう。 山口大学の淵源にあたる「山口講堂」が設立されたのは、文化12(1815)年。このような時代を象徴する存在として生まれ、以来、発展していく。 山口は、今も文教都市として語られるまちである。室町時代には、京都や大陸の先進文化を積極的に受け入れ、文化人を庇護した大内氏のもとで、「大内文化」が花開いた。毛利氏の時代にも、山口は、萩、三田尻と並び「町方」が置かれた重要な都市であった。その地に、萩の明倫館、三田尻の越氏塾と並ぶ山口講堂がつくられ、修学の道が開かれたのは、必然のことともいえる。"