ブックタイトル山口大学記念誌  「志」つなぎ伝える二百年

ページ
18/306

このページは 山口大学記念誌  「志」つなぎ伝える二百年 の電子ブックに掲載されている18ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

ActiBookアプリアイコンActiBookアプリをダウンロード(無償)

  • Available on the Appstore
  • Available on the Google play
  • Available on the Windows Store

概要

山口大学記念誌  「志」つなぎ伝える二百年

18"18山口講堂剣鎗射術場并検使固屋共地差図(山口県文書館所蔵)藩主が勉学視察 当時、山口の中河原には、藩主の参勤や領内巡視、他藩の役人との応接の際に使う公館「山口御茶屋」があった。山口講堂が建てられた場所は、その東南側、今でいうと、山口公設市場(平成24年に解体)があった位置である。 古地図によると、講堂は、藩の「検使固屋」の敷地の一部にあり、正面幅が約10m、奥行きが7.3m、三面に回り縁のついた小規模な平屋だったようだ。 講堂が完成した4月、藩主・毛利齊熙は、氷上山興隆寺に参詣の途中、山口御茶屋で山口在住諸士の文武諸芸を視察した。鳳陽の門弟18名が「孫子」、「詩経」などの講釈をし、平岡弥三右衛門らの門弟80名が武芸を披露したという。鳳陽の私塾として生まれた山口講堂であるが、藩主もその開設を奨励していたことがうかがわれよう。 以後、山口来訪時や江戸参勤の帰途などに、藩主が山口講堂を観閲することが慣例となり、明倫館、越氏塾とともに書籍を下賜されるようになった。"