ブックタイトル山口大学記念誌  「志」つなぎ伝える二百年

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山口大学記念誌  「志」つなぎ伝える二百年

23"23【第1部】志2創基200周年、「志」をたどる山口町村図(山口県文書館所蔵)山口長山稽古場差図(山口県文書館所蔵)明倫館の直轄に、そして亀山へ移転 万延元(1860)年、山口講習堂と三田尻越氏塾は、明倫館の直轄となった。文学の諸役は、すべて明倫館から派遣され、両校の教授は、明倫館の助教が兼務することになった。 こうして、就学する人数も増加していったが、その一方で、校舎は狭くなり、老朽化がめだつようになった。 万延2(1861)年、亀山のふもとにあった空き地に校舎を移転、改築することが決まる。工事は山口代官にまかされたが、藩からは銀20貫目が支出されたため、これに感激した在住諸士が、すすんで土木工事に従事した。同年9月には新校舎が落成。亀山のふもとのこの地は、以後、学校名の変遷を経つつ、最終的に山口大学が吉田地区へ移転する昭和48(1973)年まで、学舎の敷地として使用されることになる。"