ブックタイトル山口大学記念誌  「志」つなぎ伝える二百年

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概要

山口大学記念誌  「志」つなぎ伝える二百年

26"26県立山口中学校新校舎落成式(明治19年6月完成) 現山口県立美術館入口付近当時の県立山口中学校校舎配置図明治18年7月、明治天皇が山口中学校と山口師範学校を視察された時のもの県立山口中学校正門にて記念写真(明治18年頃)6激流にいどむ防長教育独自の進学体系を模索 明治5(1872)年、「学制」公布。県はこれに対応しつつ、試行錯誤を重ねる。 まず、山口中学を含む県下の学校を廃止して、山口・萩・岩国・豊浦に「変則中学」を設立した。しかし、翌年には経営困難によりこれを廃止、山口と萩に「変則小学」を設立した。しかし、やはり経済的な問題から、翌年閉鎖され、山口・萩変則小学はそれぞれ鴻城学舎(山口上等小学校)・巴城学舎となる。明治8(1875)年、2学舎は資金の大部分を寄付していた毛利家の私立となった。さらに、明治11(1878)年、鴻城学舎は私立山口中学校に、巴城学舎は同萩分校になった。 このように、数年にわたり曲折をくり返すなかで、県立の中等教育を振興させようという運動が起こりはじめた。県内外の有志から寄付が集められ、それをもとに、明治13(1880)年、山口・萩・豊浦・岩国・徳山の5学区に県立中学校がもうけられた。さらに明治17(1884)年、山口中学校と他の4校は、本・分校という関係になり、山口中学校には県内でただひとつ高等中学科が併設され、萩・豊浦・岩国・徳山の初等中学科を卒業したものを県立山口中学校高等中学科に編入させるという体系ができあがる。「学喩」、「中小学章程」(山口県文書館所蔵)山口県下山口萩変則私小学開業願(山口県文書館所蔵)当時の県立山口中学校校章"