ブックタイトル山口大学記念誌  「志」つなぎ伝える二百年

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山口大学記念誌  「志」つなぎ伝える二百年

27"27【第1部】志2創基200周年、「志」をたどる出資者の一覧(抜粋)(「私立防長教育会資本出金名録」より)校長から在県評議員への依頼文(『防長教育会貸費生に関する書類綴』より)毛利元徳(『防長教育会百年史』より)7防長教育会の創設  県教育のバックボーン藩主毛利元徳が提唱 この時期の山口県教育史を語るうえで、防長教育会の存在を欠かすことはできない。 明治17(1884)年、山口の学事、特に中等、高等教育の振興をはかることを目的に、長州藩最後の藩主毛利元徳の提唱により、防長教育会は創設された。毛利本家、長府、徳山、清末各家および岩国の吉川家、さらには政官・実業界など県内の有志多数から寄付を募り、明治22年ころには、50万円(現在の金額で50億円をこえると思われる)にも達する基金を集めた。 まず、山口・萩・豊浦・岩国・徳山の五中学校の整備と充実をおこない、その資金を肩代わりし、明治19(1886)年には、県と協議して官立山口高等中学校を設立、年額1万9000円のほか、その超過分も含めた運営費を負担した。 もうひとつの事業は、学生に対する貸費留学制度である。防長教育会の奨学事業は現在にいたるまで続いており、会より学資や宿舎の支援を受け、大学や大学院を卒業した学生の総数は、実に2000名をこえる。旧岩国藩士の家に生まれた経済学者・思想家の河上肇も学資を受けたひとりで、月額8円を受けて東京帝国大学で学んだ。"