ブックタイトル山口大学記念誌  「志」つなぎ伝える二百年

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概要

山口大学記念誌  「志」つなぎ伝える二百年

34"34第10回卒業生 鮎川 義介山口市出身。実業家、政治家。東京帝国大学工科に進学。芝浦製作所(現在の東芝)に職工として入社したのち渡米、帰国後起業し、のちに日産コンツェルンを形成した。第8回卒業生 河上 肇 岩国市出身。経済学者、社会思想家。東京帝国大学法科に進学。「社会主義評論」を新聞に連載、マルクス経済学を研究した。昭和8-12年、治安維持法違反により入獄。第5回卒業生 岩田 宙造 光市出身。弁護士、貴族院議員、司法大臣。東京帝国大学法科に進学、高等中学校当時の校長、岡田良平や伊藤博文から学費の援助を受け、苦学した。群を抜いた帝大進学率 高等学校大学予科を卒業したものは、帝国大学の各分科に無試験で入学できた。しかし、明治29(1896)年の「分科大学通則」の改正にともない、人員をこえる場合は試験をおこなうことになった。 山口高等学校(旧旧山高)12年間での卒業生は累計で832名で、その98%にあたる818名が帝国大学の各分科に進学している。これは他府県の群を抜いた数で、世に注目された。"