ブックタイトル山口大学記念誌  「志」つなぎ伝える二百年

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山口大学記念誌  「志」つなぎ伝える二百年

36"36山口県師範学校 上司 淵蔵 校長明治16年に長屋校長の後を受けて校長に就任した。教員養成所設立当初からの9年間、学校長として13年間の計22年の在任に及び「山口師範育ての親」として評価されている。山口県尋常師範学校校舎平面図(明治24年頃)山口県尋常師範学校校舎(明治時代)第1回山口県師範学校運動会(明治34年ごろ)10教える道の発祥、師範学校師範教育の確立へ 明治7(1874)年、山口と岩国に教員試験所が設置され、授業の伝授がおこなわれる。同年、文部省に届け出て旧山口明倫館の隣(現在の山口市役所附近)に「山口県教員養成所」を開設、本県における師範教育のはじまりとなる。 明治10(1877)年、政府は官立の師範学校を東京のみとし、それ以外は地方に設立をまかせた。県は教員養成所を「山口県師範学校」と改称、初代校長に長屋又輔を任命し、修業年限1年半として文学、数学、史学など11科目を教授した。明治17(1884)年には3年制の女子師範学科が併設される(明治28年廃止)。明治18(1885)年、「山口師範学校」に改称。 明治19(1886)年4月「師範学校令」が公布され、師範学校は小学校教員を養成する「尋常師範学校」と尋常師範学校・尋常中学校の教員を養成する「高等師範学校」(官立で東京に1校のみ)に分けられた。これが、戦後の新学制まで続く日本の教員養成の原型となった。山口師範学校は「山口県尋常師範学校」と改称され、修業年限4年で、倫理、教育、国語など19科目を教授、全寮制による軍隊式管理をおこなった。 明治31(1898)年、師範教育令の制定を受け、「山口県師範学校」と改称された。"