ブックタイトル山口大学記念誌  「志」つなぎ伝える二百年

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概要

山口大学記念誌  「志」つなぎ伝える二百年

37"37創基200周年、「志」をたどる2志【第1部】農学校設立伺(「小郡農業学校100年誌」より)農学校通則(明治16年)氷上校舎全景11農業教育のめばえ  農学校学制による農業教育 明治16(1883)年、県は、山口上宇野令(現在の山口市民会館の地)にあった栽培試験場に農事講習会を開設し、農家の子弟に農業教育をおこなうようになった。翌年には、獣疫の流行から獣医の必要に迫られ、獣医講習会を併設した。明治18(1885)年、両講習会を廃止し、同じ場所に「山口県山口農学校」を開設、獣医科も併設された。入学者は小学中等科を卒業した15歳以上のもので、修業を2年とし、実務者の養成を目的に教育をおこなった。明治23(1890)年には、大内村氷上に移転する。 その後、度重なる教育制度の改変で、校名、修業年限、定員などが変わっていく。 明治28(1895)年、氷上校舎に「山口県簡易農学校」を併設するが、3年で農学校に併合。さらに明治32(1899)年、「実業学校令」の制定に伴い、農学校は「山口県農業学校」と改称された。明治43(1910)年には氷上から吉敷郡小郡町に移った。 こうして県で最初の実業学校としてスタートした農学校は、国の実業教育の改革と軌を一にしつつ、山口県の農業教育に大きな功績をのこした。"