ブックタイトル山口大学記念誌  「志」つなぎ伝える二百年

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概要

山口大学記念誌  「志」つなぎ伝える二百年

40"40大陸への修学旅行(蘇州 寒山寺にて)大陸への修学旅行(旅順 松樹山砲台にて)支那貿易科研究室外国語の授業臨海学校の様子修業年限が1年と短いため、夏季休暇を利用して特訓を行った。満韓経営への人材育成 教育方針の第三項にみるように「満韓地方ノ実業」を重視した山口高商だが、時局に応じて、その地域を中国(支那)にも拡大していった。 大正から昭和にかけ、「支那貿易講習科」(その後、「支那貿易科」、さらに「東亜経済研究科」と改称)、「貿易別科」、「支那科」を新設して、中国・南洋貿易で活躍する人材を育てたほか、「東亜経済研究会」(大正6年)と「東亜経済研究所」(同10年「調査部」として設置。昭和8年に改称)を設立して、東アジア経済の研究に力をそそいだ。 東亜経済研究会と東亜経済研究所は一体となって、研究のための資料を調査・収集するとともに、研究会や講習会を開催し、書籍や機関誌「東亜経済研究」を発行した。この「東亜経済研究」には、執筆者として山口高商や帝国大学の教授、満鉄調査部職員らが名をつらねており、最高の研究水準をしめすものだった。 注目をあびたのは、明治40年から大正12年までおこなった満韓修学旅行である。30日程度の行程で中国、朝鮮各地の商店や工場を見学し、実業界の講演を聞いた。外国旅行をおこなう実業専門学校はほかになく、カンカン帽姿での修学旅行は山口高商名物になったという。"