ブックタイトル山口大学記念誌  「志」つなぎ伝える二百年

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山口大学記念誌  「志」つなぎ伝える二百年

44"44計設立資金内訳200,000円80,000円80,000円40,000円100,000円60,000円37,000円597,000円防長教育会久原 房之助藤田 平太郎藤田 政輔毛利氏山口町(敷地用)山口県予算13山口中学校校舎(現在の山口県立山口図書館付近)山口高等学校の再興山口県への高等学校誘致運動 旧旧山口高等学校が廃校となって以来、県下から大学へ進学することがきわめて不便となっていた。大学進学のためには他県の高等学校に入学しなければならず、これが経済的に大きな負担だったのである。みかねた在京の卒業生らは、母校の復活を政府に請願していたが、なかなか見通しがつくものではなかった。 しかし、大正期に入り、全国で高等学校への入学希望者が増え、産業界から優秀な人材をもとめる声が高まると、いよいよ政府は、高等学校4校の新設を決めた。 これを受けて、山口県を含め全国で誘致運動が起こった。設立のための地元負担金は約55万円。この時代としては莫大な金額だが、防長教育会、卒業生、毛利氏、財界人、山口町などが力を尽して59万円以上をあつめ、ついに、山口県に1校を設置することが承認された。 こうして、大正8(1919)年4月、「高等学校令」により、山口県山口町に念願の官立山口高等学校が設立された。この時新設されたのは山口、新潟、松本、松山の4校。それまでにあった第一高等学校から第八高等学校までの8校を合わせ、官立高等学校は12校となった。"