ブックタイトル山口大学記念誌  「志」つなぎ伝える二百年

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山口大学記念誌  「志」つなぎ伝える二百年

45"45創基200周年、「志」をたどる2志【第1部】COLUMN初代校長 新保寅次新保校長は、新潟県生まれ。東京の一高出身だったが、旧制山高生には、一高、三高を凌駕せよとハッパをかけた。このころの学生はバンカラをきどり、時にはハメをはずし不始末をしでかすこともあったが、新保校長は、寛大に接し、常に学生の自主自立を尊重した。このような校長を、学生たちは「親爺」と呼んで慕い、転任の際には留任運動が起こったほどである。代用学生寮となった山口師範学校女子部寄宿舎跡(下竪小路)新保寅次校長校章旧制山高始動! 初代校長には、鹿児島県立第二中学校長であった新保寅次がつき、開校の準備がすすめられた。校舎の建設が間に合わなかったため、当面、県立山口中学校(現在の山口県立山口図書館の敷地)の一部を仮校舎とすることになった。また、町内に4 か所の代用学生寮を置いた。7月、身体検査と7科目の学科による入学試験で、669名の受験者から160名の入学者が選ばれ、9月、山口中学校講堂において第1回入学宣誓式がおこなわれた。 修業年限は3年、「文科」と「理科」に分かれ、さらに第1外国語の選択により、「甲類」(英語選択)と「乙類」(ドイツ語選択)のクラスに分かれた。文科、理科ともに外国語教育に重点をおいたのは、旧高等学校令以来の伝統でもある。"