ブックタイトル山口大学記念誌  「志」つなぎ伝える二百年

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山口大学記念誌  「志」つなぎ伝える二百年

47"47創基200周年、「志」をたどる2志【第1部】COLUMN金メダリスト 田島直人選手昭和4(1929)年から3年間、旧制山高に在学し、陸上部の花形選手だった田島直人は、昭和11(1936)年のベルリンオリンピックで、三段跳びに出場し、世界新記録となる16mを跳んで金メダルを獲得した。この快挙に母校、旧制山高の教授、生徒は大いに沸いた。オリンピックで贈られたオークの苗木は京都大学に植えられ、その実から育てた苗木が、現在の県立山口高等学校にも植樹されている。当時流行したバンカラなスタイルの学生たち校内売店鴻南寮・新聞閲覧室陸上部新保校長の銅像の前でバンカラな学生生活 旧旧山高の廃校から14年という空隙があったためか、設立当初の旧制山高には、伝統にしばられるという悪弊がなく、自分らで校風をつくっていこうという開拓精神が息づいていた。学生たちは自治と自由を尊び、勉学やスポーツだけでなく、学校行事や校友会活動も活発におこなった。 毎年秋には創立記念祭が催され、運動会や余興、運動部の大会や展覧会のほか、寮の飾り付け、提灯行列でにぎわった。 運動部と文化部からなる校友会には、学芸、弁論、野球、剣道、蹴球(サッカー)、水泳などの部が属し、なかでも野球部は、松山高等学校との親善試合を大正9(1920)年から昭和22(1947)年までおこない、山高では全校をあげて応援に出向くほどの一大イベントとなっていた。 文化部が発行した会誌には、この時代を反映して、戦争の影響や左翼的な動向もみられ、時代とともに変化してゆく当時の学生の思想をとらえることができる。"