ブックタイトル山口大学記念誌  「志」つなぎ伝える二百年

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山口大学記念誌  「志」つなぎ伝える二百年

49"49創基200周年、「志」をたどる2志【第1部】相撲部奉公塾の塾舎鎌倉への修学旅行教育実習の様子寄宿舎自習室明治34年4月に完成した寄宿舎学校生活 ─ 教師育成の場として 当初から師範学校は全寮制であり、師範教育の充実とともに寄宿舎の整備も進んだ。山口尋常中学校(現在の山口市民会館の場所)移転後の建物を増改築して、明治34(1901)年4月には、寄宿舎3棟と食堂が完成。玄関と道路の間に広場があり、テニスコートや器械体操具を配した、ハイカラな建物であった。 明治36(1903)年に創設された校友会では文化部、運動部が活動し、心身の強化鍛錬という立場から運動部の活動はとくに奨励された。おなじく心身の修養鍛錬を目的に、明治38(1905)年からは、椹野川や室積湾で水泳鍛錬がおこなわれた。 附属小学校の訓導(正教員)の指導の下、70日間にわたる教育実習は、学習の総仕上げであり、その間は、猛勉強する生徒で深夜まで寮の明かりが消えなかったという。 最終学年の5月には、9日間の修学旅行があった。昭和15(1940)年の旅行では、東京、京都、大阪の「三府」と、奈良、鎌倉を見学し、9日目の朝6時ごろ帰ったようである。 昭和14(1939)年から18(1943)年ころまで、山口市内の法泉寺(現在の滝町の辺り)に田地と農家を借り受け、「奉公塾」が開設された。生徒はここに1週間入塾して、農地の開墾や作物の植え付けなどに従事した。"