ブックタイトル山口大学記念誌  「志」つなぎ伝える二百年

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山口大学記念誌  「志」つなぎ伝える二百年

51"51創基200周年、「志」をたどる2志【第1部】実業補習学校農業科教員養成所の門山口県立青年学校教員養成所農作業風景農作業風景漁をする学生校庭に整列する学生教官・学生集合写真校旗青年師範学校 ─ 実業教育の教員を養成 明治時代、日清・日露戦争を契機として国の経済が発展すると、産業に従事する勤労青少年の教育が急がれるようになった。彼らに実業教育と普通教育の補習をおこなう学校として生まれたのが、「実業補習学校」である。 この学校の農業科専任教員を養成するため、山口県山口師範学校におかれた農業教員養成所が、のちの青年師範学校へつながる源流である。 一方、第一次大戦後、勤労青年に対して軍事教育を施す「青年訓練所」が設置された。昭和10(1935)年になって、この2校、実業補習学校と青年訓練所は統合され、勤労青年に中等教育程度の教育をおこなう定時制の学校、「青年学校」がうまれる。 明治時代の農業教員養成所は、幾度かの改編を経て、この青年学校で教える教員の養成所となり、昭和16(1941)年、女子部をもつ山口県立青年学校教員養成所として防府の三田尻(現在の桑山)に移転した。昭和19(1944)年、「師範学校令」の改正にともない、養成所は官立山口青年師範学校となった。官立への昇格で、青年教育の飛躍が期待されたが、残念ながら、大きな成果をあげることなく戦後を迎えることになった。"