ブックタイトル山口大学記念誌  「志」つなぎ伝える二百年

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山口大学記念誌  「志」つなぎ伝える二百年

53"53創基200周年、「志」をたどる2志【第1部】移転感謝祭(昭和24年3月)16山口高等獣医学校仮校舎(小郡高等女学校校舎)家畜舎(『山口農業高等学校100年史』より)山口高等獣医学校仮校舎(小郡高等女学校校舎)山口高等獣医学校(山口獣医畜産専門学校)跡山口高等獣医学校設置認可の告示(文部省告示第110号)獣医教育の再興山口高等獣医学校の創設と山口獣医専門学校への改称 昭和に入ると、農業学校の獣医畜産科に大きな変化がおこる。 従来、獣医師免許は、農業学校卒業生には無試験で交付されていたが、大正15(1926)年の「獣医師法」により、専門学校以上の卒業生でないと交付されないことになってしまった。  このため、山口県立小郡農業学校では、県下唯一の獣医師養成機関であった獣医畜産科の獣医部門を、昭和11(1936)年、いったん廃止する。その後、第二部獣医科を新設し、獣医師試験の受験資格が得られるようにした。 昭和19(1944)年、この第二部獣医科を専門学校として独立させることとなった。終戦直前の財政難の時期であったが、県から140万円、小郡町から70万円(現在の金額で約90億円)という巨額を支出し、同年4月、山口県立山口高等獣医学校が誕生した。卒業者は、高等学校2級、中学校1級の教諭(生物、理科、畜産、保健)免許と、無試験で獣医師免許証を取得することができた。 太平洋戦争の状況は日を追って悪化しており、開校はしたものの、校舎新築はならず、当初は小郡農業学校に同居、3か月後には、移転した小郡高等女学校の校舎を仮校舎とした。 昭和20(1945)年、「山口獣医畜産専門学校」と改称。昭和23(1948)年末に下関市長府校舎へ移転し、翌年新制山口大学に移行することとなる。"