ブックタイトル山口大学記念誌  「志」つなぎ伝える二百年

ページ
54/306

このページは 山口大学記念誌  「志」つなぎ伝える二百年 の電子ブックに掲載されている54ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

ActiBookアプリアイコンActiBookアプリをダウンロード(無償)

  • Available on the Appstore
  • Available on the Google play
  • Available on the Windows Store

概要

山口大学記念誌  「志」つなぎ伝える二百年

54"54COLUMN宇部共同義会と渡辺祐策明治19(1886)年、炭鉱の採掘権を共同で管理するために設立された宇部共同義会は、石炭需要の高まりにつれ、大きな財団に成長し、宇部の公共施設、社会福祉、教育文化に巨額の寄付をした。小学校の講堂や村立中学校の建設、県立宇部工業学校の誘致などに財を投じ、宇部高等工業学校創設では、建設用地を用意した。渡辺祐策は、宇部共同義会中、最も成長した沖ノ山炭鉱(のちの宇部興産)の頭取で、私立の工業学校を設立するなど教育機関や社会基盤の整備に尽力し、宇部村発展に大きく貢献した。17工業教育のめばえ渡辺祐策(『素行渡辺祐策翁』より)開校当時の下松工業学校(『久原房之助』より)昭和13年頃の宇部市官立高等工業学校を誘致 明治30年代、国内では産業が飛躍的に発展し、工業教育が重要度を増してくる。 山口県では、明治36(1903)年、室積に、造船と機械工業従事者を養成する県立工業学校が設置されたが、大正3(1914)年には廃校となった。 その後、郷土の産業人の支援を受け、県立工業学校が再び設置される。県は、宇部共同義会から寄付金30万円を受け、大正10(1921)年、宇部に山口県立宇部工業学校を設立。同年、実業家久原房之介からの33万円の寄付により、下松に、山口県立下松工業学校が設立された。 昭和13(1938)年、戦局が拡大するなか、技術者の拡充をはかるため、文部省は7つの官立高等工業学校を新設することとした。そのうち1校が山口県につくられることになり、これに、新進工業都市として発展しつつあった宇部市が名乗りをあげる。 建設用地として高台に約4万坪という広大な土地(現在の常盤台)が確保され、宇部市、地元企業からの寄付と県の資金をもとに、昭和14(1939)年、官立宇部高等工業学校が誕生した。"