ブックタイトル山口大学記念誌  「志」つなぎ伝える二百年

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山口大学記念誌  「志」つなぎ伝える二百年

"55創基200周年、「志」をたどる2志【第1部】福井私城校長宇部高工の校章鵜之島の仮校舎講義風景(昭和16年頃)常盤台新校舎への移転化学天秤測定(昭和17年頃)完成した新校舎官立宇部高等工業学校の発展 初代校長には、東京工業大学予備部主事で理学博士の福井私城がつき、機械科、精密機械科、工作機械科、鉱山機械科、採鉱科の5学科200名を募集した。学内には旧制高校に近い自由闊達な雰囲気があった。鵜之島にあった仮寮では、この新設の高工をいかに他に負けないものにするか、学生が議論し、まちにくりだし気炎をあげたという。昭和15(1940)年には新築の常盤寮での生活がはじまり、名物の寮祭では、さまざまな出し物を楽しんだ。 その後、各学科で増員が続き、昭和17(1942)年には工業化学科が新設された。これには、機械系技術者の増強やエネルギー政策への重点化などをすすめる時代の要請が大きく影響していたようである。 昭和19(1944)年には、工業教員養成所(機械科)を附設、「宇部工業専門学校」へと改称した。戦況が激しくなった同年の秋以降、学生は工場や鉱山へ勤労動員にかり出され、現地での出張授業もおこなわれるなかで、終戦を迎えた。 "55