ブックタイトル山口大学記念誌  「志」つなぎ伝える二百年

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山口大学記念誌  「志」つなぎ伝える二百年

60"6020山口大学誕生※第二水産講習所農林省直轄の水産専門学校で、昭和22(1947)年、下関市に開設。現在の水産大学校の前身。「国立山口大学設立申請書」では水産学部への昇格がめざされた。文部省学校教育局長からの通知「直学62号」「山口総合大学設置のしおり」「教育こそ、日本復興の基盤をなすものであり、山口大学の設置は、明日の山口県に光明を与えるものである。」ことを真剣に考え、百五十万県民の皆様と共に、是非、総合大学設置の悲願を、達成したいと思います。と県民に呼びかけた。山口市全景(昭和22年頃)設置はほぼ確実に 昭和22(1947)年、他にさきがけ、県立医学専門学校が山口県立医科大学(旧制)へ昇格した(昭和27年より新制)。一方、ほかの専門学校は、単体ではなく総合大学としての昇格をめざす方向に転換する。 翌23(1948)年6月、混沌としていた政府の方針がようやく定まった。文部省は、新制国立大学設置についての「十一原則」を決定。大学が大都市に集中することを避け、一府県一大学を設置すること、教養および教職に関する学部か部をおくこと、第一学年から発足すること、など十一の原則が定められた。 7月、「国立山口大学設立申請書」が受理され、第二水産講習所をのぞく官立5校による4学部と山口獣医畜産専門学校による1学部の設置がほぼ確実となった。 残る問題は、設置にかかる莫大な費用である。県負担額以外に、建物や施設、図書などにかかる5000万円について、郡市別に目標額を決めて、県民から募金を集めようとした。しかし、食べることにも困るような時勢においてはむずかしく、県外の関係者、関係機関の寄付をうけて、なんとか財源を確保するにいたった。"