ブックタイトル山口大学記念誌  「志」つなぎ伝える二百年

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山口大学記念誌  「志」つなぎ伝える二百年

73"73山口大学の「志」について語り合う5志【第1部】─ 上田鳳陽先生が「山口講堂」を設立されて以来、その「志」は歴史の中で脈々と受け継がれて、今日の山口大学に至っています。その「志」について、本日は先生方に語り合っていただきたいと思います。 まず、就任中にどのような「志」をもって任務に当たられたか、また就任中のいちばんの思い出は何かについてお話しいただけますか。工学研究科の改組が一番の思い出三分一 政男・第8代学長(平成2年~5年) すでに20年以上を経過して、記憶も定かでないところもありますが、当時は「世界で活躍できる専門知識を有する数多くの人材を育成しよう」という国策のもとで、大学院博士課程、修士課程の新設・定員増などが図られていました。大学には、個々にその必要性を証明すること、他に類を見ない特長をアピールすること、卓越した研究教育のスタッフを有することなどが求められました。 山口大学では、「教育研究体制の高度化・学際化、開かれた大学としての地域社会への貢献、国際性豊かな大学」を掲げて、全学を挙げて組織改革を検討し、その実現に努力しました。 当時の概算要求には、学部、学科、講座の新設・改組再編が目白押しでした。調整は難航いたしましたが、各学部ならびに改組案検討委員会・将来構想委員会などのご努力の甲斐あって、いくつかの構想が実現を見ました。特に、工学研究科の改組(博士課程の設置)は、すでに医学研究科には博士課程が設置されていましたが、工学部全学科および工業短期大学部の改組とともに一番の思い出です。徹夜して教養部の解散を決議村上 悳・第9代学長(平成5年~8年) いま三分一さんからお話があった大学改革の問題が、当然私のときにも非常に大きな課題になってきました。 当時、マーチン・トロウというアメリカの社会学者が、高等教育の発展段階を、「エリート段階」「マス段階」「ユニバーサル段階」という三つの段階に分けました。「エリート段階」は、18歳人口に占める大学在学者の割合が15%程度の段階をさすというものです。そこで言われていることが多くの人の関心を引いていたわけですが、大学としては、大学のありかたを厳しく縛っていた大学設置基準の問題、そしてそれを支えている大学教授の世代交代の問題を抱え、マーチン・トロウの言う「エリート段階」が崩壊しつつある中で、大学改革をどう進めていくのか、ということが最大の関心事であったわけです。 そこで山大の大学教育検討委員会で全学的な問題として大学改革をどう進めていくかの検討がスタートしましたが、最終的に、教養部の廃止にどう対処していくかということになりました。しかしなかなか結論が出ず、昼から始めた委員会が延々と夜まで続き、結局、夜をこして、翌日の朝やっと教養部の解散が決議されたのであります。 それまで教育・学問中心であった大学が三分一 政男 (第8代学長)"