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『炎のランナー』(1981年)と、ヘリテージ映画

國永 孟(京都大学大学院人間・環境学研究科 博士課程 キングス・カレッジ・ロンドン大学)

 映画は、見る者の視点によって如何様にも姿を変える。『炎のランナー』(1981年、ヒュー・ハドソン監督)を観た村上春樹は、「あれだけ古いタイプのランニング・フォームをマスターさせるだけでも相当手間がかかったに違いない。どうでもいいようなことだけれど、ついつい感心してしまう」と述べている[1] 。自らがランナーである村上ならではの目の付け所と言えよう。
 映画はまた、国威発揚を促したい者にとって都合の良いプロパガンダ装置にもなり得る。『炎のランナー』は1982年の米アカデミー賞で最優秀作品賞を獲得し、勢いに乗ったイギリス映画産業は1980年代から90年代にかけて「ルネッサンス」を経験する。この間、E・M・フォースターやヘンリー・ジェイムズといった作家の小説を中心に、古典文学の映画化作品が多数製作された。徹底した時代考証を売りにした歴史劇/コスチューム・ドラマはのちに「ヘリテージ映画」と呼ばれる。マーチャント・アイヴォリー・プロダクションが製作した『眺めのいい部屋』(1985年)や『ハワーズ・エンド』(1992年)はヘリテージ映画サイクルの代表的作品とみなされている。80年代から90年代にかけてイギリス映画の支配的なプロダクション・トレンドを決定づけ、イギリス映画研究において現在まで続く議論に火をつけたのが『炎のランナー』であった。
 イギリス映画史のなかで同作が重要視されている理由は、当時のイギリス社会の時代精神を体現する作品であるとみなされているからだあろう。今から振り返ると、1979年に保守党のマーガレット・サッチャーが首相の座に就いたことが、その後のイギリス社会の行末を左右する分岐点であったと言える。それまでイギリスは、「揺り籠から墓場まで」を合言葉に掲げた福祉国家社会であったが、国際的な競争力の低下や経済成長の停滞といった問題に直面していた。そうした状況のなか、サッチャーは「英国病」と揶揄された社会の現状を打破するために、電気・水道・ガス・などの公共事業を民営化し、市場の原理に則って競争させる新自由主義的な政策を導入した。こうした変化によって、イギリス社会は実力主義(メリトクラシー)が幅を利かせるようになる。
 イギリスでヘリテージ産業が大きく成長したのもちょうどこの時期のことだ。長い歴史を持つイギリスには、ストーンヘンジやシェイクスピアなど偉大な過去の遺産が多数存在する。そうした遺産をただ眠らせておくのではなく、パッケージ化して提供することで観光客を誘致し、貴重な資源として利益に変えることが奨励されたのである。さらに、文化的価値が高いとみなされた遺跡や遺物は、映画をも惹きつけることになった。1950年代半ばから続いてきた映画製作に対する支援制度・通称「イーディ・レヴィ」のような補助金を打ち切られたイギリス映画産業は、とくにアメリカを始めとする海外市場向けの映画でこうした遺産を積極的に題材に取り入れるようになる。
 この辺で話を『炎のランナー』に戻そう。同作は物語の舞台を過去に設定しながらも、製作された時代の変化を的確に捉えている。人種差別によって虐げられていた男性の成功物語や、風光明媚な自然のロケーション撮影を取り入れた同作は、そうしたイギリス社会の変化の象徴として読むことができる。
 映画の物語は1924年のパリ・オリンピックを目指す2人のイギリス人ランナーによって駆動する。ひとりは中国生まれのエリック・リデルという青年で、スコットランド国教会の宣教師をしている。もうひとりは、ケンブリッジ大学に通うユダヤ系イギリス人のハロルド・エイブラハムズだ。彼はアングロ・サクソン中心の社会のなかでアウトサイダーであり、彼にとって走ることは自分の存在を証明するための武器である。
 エイブラハムズが、走ることを武器に自分の存在価値(有用性)を示していくことで社会に受け入れられる象徴的な場面が2つある。ひとつはケンブリッジ大学に入学してすぐ行われたカレッジ・ダッシュのシーンであり、もうひとつはパリで開かれたオリンピックでの競技シーンだ。どちらの場面でも、その直前にエイブラハムズは権力と支配力を持ったイギリス社会の既得権益者からユダヤ系であることを理由に拒絶され、無礼な扱いを受けている。だが、逆境を跳ね除けて誰も成し遂げなかった偉業を達成することで、自らの有用性を証明するのだ。
 とはいえ、同作で印象に残るのは手に汗を握るようなエイブラハムズの走る姿ではなく、目標を達成した時のあっけなさや、一抹の寂しさである。その点、コーチであるムッサビーニがホテルでエイブラハムズの勝利を知るシーンは観客の胸を打つだろう。ムッサビーニはホテルの自室に残り、レースが終わるのを静かに待っている。部屋の窓からは競技場が遠くに見えており、時折歓声が聞こえてくる。エイブラハムズの走る姿を捉えたスローモーションが終わると、ホテルに残るムッサビーニのショットに切り替わる。すると突然、部屋に満ちた静寂はイギリス国歌の演奏によって破られ、音がする方向を向いたムッサビーニは窓越しにスタジアムで国旗が掲げられる様子を目にする。こうして彼は感慨深く「私の息子よ」と呟き、勝利の喜びを噛み締めるのであった。このような抑制の効いた演出によって、同作は走る人間の身体をスペクタクルとして描いているというよりも、走ることに精神的価値を見出す人間の心の機微を描いた映画になっている。
 最後に、同作に対する村上のコメントを振り返ってみよう。ランニング・フォームについて述べた彼の短い発言は、時代考証と映画の物語に関係の無さそうな細部への関心について取り上げている。記事の前半でヘリテージ映画について軽く紹介したが、驚くことに、村上による一文は『炎のランナー』を含むヘリテージ映画研究の議論のエッセンスを的確に捉えているのだ。


[1] 村上春樹、『映画をめぐる冒険』、講談社、1985年、209頁。