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コラム

【コラム】『村上春樹 51Book Guid』

【コラム】『映画をめぐる冒険』

  • 奥藤 望実 チャイナタウン、あるいは不可視の結末
    2024年7月7日
    奥藤 望実 (京都大学・人間・環境学研究科 修士課程)  映画において「衝撃的な結末」は、観客の日常への帰還を遅延させる。その遅延の間に映画は自身の印象を観客の脳裏に刻み込む。それは映画が取るある種の生存戦略とでも言うべきもので、『チャイナタウン(1974)』もそうした戦略を取った映画の一つである(そしてその試みはこれ以上ないほどの成功を収めている)。 では、その「衝撃的な結末」はどのように描写されているのか。重要な点はそこに至るまでの描写の積み重ねを通して、この衝撃的な結末に極めてアイロニカルな含みがもたらされていることだろう。 『チャイナタウン』は所謂「ネオ・ノワール」という映画ジャンルの…
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  • 竹下涼 涙は雨のように、雨は涙のように―映画『ブレードランナー』とサイバー・パンクの天使たち―
    2024年7月3日
     竹下涼 (京都大学大学院 人間・環境学研究科 修士課程) 1.導入 リドリー・スコット監督作品『ブレードランナー』(1982年)、もはや言うまでもなく、近未来SFの金字塔である。フィリップ・K・ディックによる小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』(1968年)を原案としたこの映画は、SF文学の世界で花開いたサイバー・パンクの想像力をハード・ボイルドあるいはフィルム・ノワールといったハリウッドの古典文法に落とし込んだ、映像表現の精華と言える。おそらくは原作の小説よりも映画の方がいっそう広く深く受容されてきたのではないだろうか。村上春樹もまた「原作よりずっとよくまとまっていると考え…
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  • 森本光 『シャイニング』-村上春樹がみたスティーブン・キング原作の映画-
    2023年12月18日
    森本 光 (近畿大学・非常勤講師)  スティーブン・キングはデビュー以来、おびただしい数のホラー小説を発表し続けている。映画化された作品は50本以上。誰もが認めるこの「ホラーの帝王」の存在を、村上春樹はいったいどのように考えているのか。また、1980年公開の映画『シャイニング』をほぼリアルタイムで見た村上春樹は、この作品にいかに反応したのか。 次の三つの短い文章から考えてみよう。 ・「スティーブン・キングの絶望と愛——良質の恐怖表現」(『村上春樹 雑文集』所収)[1]・『シャイニング』の映画評(『太陽』1981年3月号)[2]・「シャイニング」(『映画をめぐる冒険』所収)[3]  まずは、ひと…
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  • 藤城孝輔 『突撃』―キューブリックの骨太な反骨精神―
    2023年12月15日
    藤城 孝輔(岡山理科大学・講師)  『突撃』(Paths of Glory、1957年)はスタンリー・キューブリック監督の初期の傑作の一つとして知られている。第一次世界大戦中のフランス軍を舞台に、不条理な上層部の命令に翻弄される兵士たちの悲劇が描かれる。戦争の非人間性という主題は後年、若者が軍事訓練を通して戦争の道具にされていく過程を克明に描いたベトナム戦争映画『フルメタル・ジャケット』(Full Metal Jacket、スタンリー・キューブリック監督、1987年)でも繰り返されるものだ。村上春樹は1950年代後半において反戦映画というジャンル自体が珍しかったことを指摘したうえで、「『スパル…
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  • 『炎のランナー』(1981年)と、ヘリテージ映画
    2023年1月16日
    國永 孟(京都大学大学院人間・環境学研究科 博士課程 キングス・カレッジ・ロンドン大学)  映画は、見る者の視点によって如何様にも姿を変える。『炎のランナー』(1981年、ヒュー・ハドソン監督)を観た村上春樹は、「あれだけ古いタイプのランニング・フォームをマスターさせるだけでも相当手間がかかったに違いない。どうでもいいようなことだけれど、ついつい感心してしまう」と述べている[1] 。自らがランナーである村上ならではの目の付け所と言えよう。 映画はまた、国威発揚を促したい者にとって都合の良いプロパガンダ装置にもなり得る。『炎のランナー』は1982年の米アカデミー賞で最優秀作品賞を獲得し、勢いに乗…
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  • 國永孟「スターの存在と、映画のスタイルー『若草の頃』(1944年)における演出ー」
    2022年10月21日
    國永 孟(京都大学大学院人間・環境学研究科 博士課程 キングス・カレッジ・ロンドン大学)  黄金期のハリウッド映画を語る際にしばしば耳にする言葉に「スター・ヴィークル」というのがある。これは1930年代から40年代にかけて、メジャー・スタジオが自社で契約しているスターの人気を最大限に利用するため、小説や戯曲を映画化する権利を購入し、スターのイメージに沿うように脚本を練り上げたりする映画のことを指す。「スター・ヴィークル」として製作された映画は、物語だけでなく、カメラの前に映るすべてのものがスターの存在感を高めるために演出されていると言っても過言ではない。 1944年、メジャー・スタジオのひとつ…
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  • 池田真実子「「おかしな」モーツァルト―映画『アマデウス』のモーツァルト像とその行方―」
    2022年10月7日
    池田真実子(京都大学大学院人間・環境学研究科 博士課程) 「天才」と聞いて、どのような人物が思い浮かぶだろうか。一つのことに異常なほどに秀でていて、それまでの価値観など吹き飛ばしてしまうような人物。それでいて、それ以外のこと、社会的営みや私生活はめちゃくちゃで、時代にうまく適合できなくて——。このような天才像を具現しているのが、映画『アマデウス』に出てくるモーツァルトである。 簡単にこの映画の基本情報をおさえておこう。映画『アマデウス』は、ミロス・フォアマンが監督した、1984年のアメリカ映画である。原作は、ピーター・シェーファーの同名の戯曲であり、シェーファーはこの映画の脚本にも携わっている…
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  • 神田育也「ヴィスコンティは二度死ぬ—『ルートヴィヒ 神々の黄昏』解説」
    2022年10月3日
    神田育也 (京都大学大学院 人間・環境学研究科 博士2回生)  『ルートヴィヒ 神々の黄昏』について村上春樹は「ルキノ・ヴィスコンティの遺作である」[1]と述べているが、これは全くの事実誤認である。ヴィスコンティの遺作は『イノセント』であって、『ルートヴィヒ』ではない。バイエルンの歴史大作『ルートヴィヒ』とローマの愛憎劇『イノセント』ではかなりの隔たりがあり、ましてヴィスコンティは『ルーヴトヴィヒ』の後に、『家族の肖像』も撮影している。 一体なぜこのようなミスを村上春樹はしたのだろうか。以下では「単純な勘違い」に過ぎないであろうこの問題を、あえて「過大評価」し、『ルートヴィヒ』のコンテクストか…
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  • 神田育也「「上手な」映画、『ジョーズ』の解説 ―撮影技術、コンティニュイティ編集、ナレーションの観点から―」
    2022年8月22日
    はじめに  『ジョーズ』(1975)はスティーヴン・スピルバーグの劇場公開第2作にして、それまでの商業映画の常識を根底から覆した作品である。ホオジロザメが人を食い殺す。「一文で要約して売る」ことができる「ハイ・コンセプト」[1]なストーリーは、あらゆる観客層の心を鷲掴みにし、『イージー・ライダー』『真夜中のカーボーイ』に熱狂したヒッピーから『エクソシスト』『悪魔のいけにえ』に惚れ込んだホラーマニア、『タワーリング・インフェルノ』『エアポート'75』を気軽に楽しんだ家族連れまで、全米をサメの虜にさせた。 封切り後、僅か2週間で製作費を回収した『ジョーズ』は、歴代興行収入1位だった『ゴッド・ファー…
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