山口大学医学部眼科山口大学大学院医学系研究科眼科学

柳井先生のボストン便り

第1回(2012年5月)

ボストンだより 2012 5月

柳井 亮二

2011年1月よりボストンのハーバード大学マサチューセッツ眼科耳鼻科病院に留学て1年と4ヶ月が経ちました。ボストンの四季の移り変わりと様々な行事を体験しながらのあっという間の1年でした。

ボストンはアメリカ東海岸のニューヨークより少し北にあるマサチューセッツ州の州都です。世界有数の教育と研究のが盛んな学園都市で,ハーバード大学のほかにもマサチューセッツ工科大学(MIT)をはじめ,そうそうたる有名校が軒を連ねています。街にはインテリジェンスと様々な国から集まってきた若いエネルギーが溢れています。私の住むケンブリッジ市は閑静な街で,高層ビルの並ぶボストン市とはチャールズ川を隔てた隣町で,毎日の通勤の際にボストンの素晴らしい景観が一望できます。

アメリカで最も歴史の古い街の一つで,ボストンの中心には2-300年前の建物か数多く残っています。それらが近代的な高層ビル群とうまく溶け合い,『美しい古都ボストン』の風情を醸し出しています。また,アメリカ独立戦争の発端となったボストン茶会事件が起った街としても有名で,歩きながら史跡を辿っていけるフリーダムトレイルという歩道コースもあります。この一年,本当によくボストンを歩き回り,日本にはない文化に触れることで,今までになかった価値観や視野を養うことができました。

異国にいるとなぜか研究でも今までと違う発想で接することができるのが,海外留学のよいところです。1年前にボストンに到着したときは,右も左もわからない上に,研究ではこれまでの角膜とは異なる網膜血管新生の分野に飛び込んだこともあり,不安と期待でいっぱいでした。しかし,まさに光陰は矢の如しで,渡米してきた日を昨日のことのように思い出します。

今月よりボストンからの留学だよりを通じてこちらの生活と研究についてご報告させていただこうと思います。

第2回(2012年6月)

ボストンだより 2012 6月

柳井 亮二

これから迎えるボストンの夏は青い空と木々の緑がとても美しく,日本のような梅雨もないため,暑さの割に過ごしやすいのが特徴です。

たくさんの市民が公園に繰り出してきて,ランニング,散歩,日光浴を楽しんだりするほか,チャールズ川湖畔では毎週のように野外コンサートが開かれます。夕方の仕事が終わる頃になると,どこからともなく人が集まり始め,思い思いに芝生にシートやイスを準備し,パンやチーズ,飲み物を広げてピクニック気分で,ボストンシンフォニーやボストンバレエ,シェイクスピア劇など、レベルの高い芸術に触れることができます。これが無料とはなんとも贅沢です。

アメリカの学期末は6月なので,この時期は移動が多くなる時期です。我々のラボでも新しいメンバーが増えたため,隣のラボとピザランチがありました。新しいメンバーに加え,この時期にはサマースチューデントもいるため,ミーティングルームも満杯です。

アメリカの学生は5月から8月まで長い夏休みがありますが,夏休みにはいろいろな大学,病院や研究所に見学や実習に行きます。山口大学では自己開発コースがありますが,アメリカ全体で自己開発コースをしているようなものです。今回,うちのラボには近隣の高校生1人,コロンビア大学の学生1人が基礎実験の実習に来ていています。

隣のラボにもカリフォルニア州やニューハンプシャー州から3人の学生がきていて,一気にラボの中が活性化されました。これらの学生実習で行われた研究は論文や学会発表をすることもありますが,それよりも進学の際の内申書に反映されたり,進学時の推薦書や人脈として威力を発揮するようです。

第3回(2012年7月)

ボストンだより 2012 7月

柳井 亮二

私が研究しているハーバード大学マサチューセッツ眼科耳鼻科病院はチャールズ側の辺りにあり,周辺にはマサチューセッツ総合病院群,リバティホテルやホリデーインなどの宿泊施設などがあります。

遠方の患者は退院後は近くのホテルに宿泊します。そのため,アメリカでは病院を囲むようにホテルが点在していることがよくあります。

私のラボの横にあるリバティホテルは19世紀の建物を改築したというボストン・グラナイト様式のレンガ造りの建物で元は刑務所だったというユニークな歴史を持つホテルです。刑務所としてのデザインを残したままの変わった雰囲気と,元は刑務所なのにリバティ(自由)というネーミングが面白く観光名所にもなっています。

私が勤務する血管新生ラボは築90年の古びたレンガ造りの建物の3階にあり,階段などがむき出しのレンガだったりしてとても趣があります。

建物内は現代風に改装されていますので,ラボの中はシンプルな基礎の研究室といった感じです。

このラボの最も良い点はラボ内に動物飼育室があるため,動物の取り扱いが非常に楽で,ゲージをとって手術室まで移動するのに数秒しかかかりません。麻酔後の経過観察も他の実験と同時進行で可能なため,動物をたくさん使った実験でも移動のストレスなくどんどん行うことができます。

同じフロアー内にPCR,ウェスタンブロッティング,ELISA,免疫染色などがひと通りの実験が出来る設備があるので,とても実験しやすいと思いますが,実験 機器は山口大学眼科の研究室の方がいいものが揃っています。

現在の日本の研究環境はアメリカのものに引けを取ることは全くないので,そういう意味ではアメリカに留学してハード面で驚くことは少ないかもしれません。

ただ,朝,注文した抗体がその日の午後に届きた時には驚きました。日本では通常2−3週間待ちですが,こちらでは夕方計画した実験を翌朝注文して実行できるというスピード感は日本では味わえないものです。人よりも1秒でも早くデータを論文発表することが大切な研究の世界では,このスピード感はとても重要なことだと実感しています。

第4回(2012年8月)

ボストンだより 8月

柳井 亮二

8月は日本から園田康平教授をラボにお迎えしました。園田教授は,ハーバード大学のスケーペンス眼科研究所に留学されていた時にボストンにお住まいでしたので,10年ぶりの家族でのボストン訪問になったそうです。

ラボでは,園田教授が免疫の専門ということで,是非この機会に一緒に討論をしようということになり,研究ミーティングを開催しました。

テーマは,私が昨年から取り組んでいるプロジェクトの一つで,オメガ3脂肪酸による網脈絡膜血管新生に対する抑制効果についてです。私の研究テーマであっても,Connorラボでの研究テーマは,研究者全員でデータを共有しており,互いに協力しながら一つの論文を作成していきます。基本的には各自が各プロジェクトの責任者となって,書類の作成から実験の実施,まとめ,発表とFirst Authorとなって責任をもって実行していくスタイルですが,必要があれば実験を全て遂行してもらうこともあります。研究者によって得意な分野が異なるので,必要な手法についてはラボ内あるいはラボ外の知り合いに頼んで,助けあいながら実験を行なっています。

アメリカではテーブルに食べ物や飲み物を準備して,上下関係を感じさせることなく,気楽な感じでミーティングします。発表している途中でも疑問点があれば,どんどん質問が飛んできていろいろな意見が出てくるので,それがデータをより信頼性のあるものに代えていったり,次の研究テーマになったりすることもあります。そして,全員が必ず一言は質疑しなければならないのが決まりで,アメリカのミーティングでは質問力で能力を図られる側面があります。

この日のミーティングでは,血管新生を抑制するメカニズムに炎症系サイトカインが関与していること,その役割を担っている免疫系細胞としてマクロファージ内の信号伝達系の関与について,熱い議論が交わされました。

何とかミーティングを乗り切って,その日の夜は園田教授ご家族とイタリア人街のレストランにディナーに行きました。ボストンのダウンタウンの北にあるノースエンドと呼ばれるに地域には20世紀に入り、イタリア系移民が移り住んだことから”イタリア人街”とよばれており,たくさんのイタリアンレストランやカフェが立ち並びまさに「食」の宝庫としてボストンでも評判です。たくさんの味自慢な店があるので,来るたびに違うレストランを試すのもいいですし,自分のお気に入りの場所に通いつめるのもいいかもしれません。

最近はYelpやZagatoなどのレストランの格付けのサイトもあるので,私はその評判を参考にこのレストランを予約しました。

シーフードがいっぱいでホイル蒸しのようなパスタやピザ,ワインなど美味しいイタリアンをご馳走になりました。

ピザやパスタもイタリア人の味で,トマトがとても美味しく本場の味にも負けていないのではないかと思います(私は本場の味を知りませんが)。ビザとパスタは追加で同じ物を注文し,最後にティラミスとアイスクリームを食べたので,本当に満腹になりました。

園田教授が帰国されるときにボストン空港までお見送りに行きました。成田—ボストンの直行便のある国際線ターミナルは新しく改築されたばかりで,とても綺麗です。「もう少しでここを通って日本に戻る日が来るなあ」と思いながらお見送りしました。

今回,貴重な夏休みにも関わらず,園田教授が私の研究生活を応援にボストンに来ていただけたことはとても嬉しく,心強いことでした。明日からは気持も新たに残りの研究生活をしっかり頑張っていこうと思います。

第5回(2012年9月)

ボストンだより 9月

柳井 亮二

アメリカの夏を満喫するため,車で2時間ほどドライブしてニューハンプシャー州のフレーム渓谷にハイキングに行きました。

この渓谷は1808年に地元のJessie Guernseyおばあさん(93歳)が釣り場を探しているときに偶然発見した渓谷とのことです。こういうところに住んでいると長生きできそうです。

日本に比べるとアメリカの夏は過ごしやすく,空気が乾燥しているので日向は暑くても,日陰に入るとすっきりと涼しくなります。マイナスイオンが一杯の森林を20分ほど歩いて渓谷を目指します。

途中,山の中なのに大きな岩がゴロゴロしていて,何でこんな高いところに岩が転がってきたのか不思議な感じでした。おそらく,地上が隆起したあとに土や砂が風化して,岩だけが残っていったのでしょうか? ちょっと持ちやすそうな岩があったので,お決まりの写真をとるために少し持ち上げてみました(?)。

岩の上に大木が根を張っていたりして,植物の生命力の神秘を肌で感じながら歩いていきます。

渓谷に到着するとそれまでの森林とは全く違った世界が目の前に広がりました。

アメリカでは川は大きくゆっくりと流れるイメージなのでこのような急流を見ることはとても珍しく,日本の渓流を見ている感じで日本の川が懐かしくなりました。城壁のようなとても大きな岩と岩の隙間を渓流が流れていてとても感動的な渓谷でした。最後に大きな滝があり,幻想的な水の流れを作っていました。

ハイキングで運動したあとは,バーモント州に移動してBEN&JERRY’Sのアイスクリーム工場を見学&試食です。

BEN&JERRY’Sはアメリカではどこにでもあるような人気のあるアイスクリームで,スーパーでも普通に冷凍庫に並べて売っています。日本では2012年4月に表参道店がオープンしたそうです。工場見学で見た映画の説明によると創業者のBENとJERRYは仕事が長続きしない,浪人生の親友だったそうで,何とか手に職をつけるために5ドルで受講したアイスクリーム作りの技術を元にバーモント州の田舎のさびれたガソリンスタンドでアイスクリームショップを開きました。それが大評判となり,今ではBEN&JERRY’Sは世界中に800店舗以上あるような有名なブランドになっています。まさにアメリカンドリームです。もし,東京に行く機会があればぜひ試食してみてください。あま~いアメリカのアイスですが,なかなかの食感でした。グリークヨーグルトアイスも絶品でした。

第6回(2012年10月)

ボストンだより 10月

柳井 亮二

ボストンのあるニューイングランド地方は紅葉が綺麗なことで有名です。ボストンに留学した先生方からは「山が赤くなる」という形容で,紅葉のことを聞いていましたが,まさに山全体が紅葉して赤くなる様は日本では目にできないものです。今年はさらに紅葉を極めようということと,留学中にしか行けないだろうということで,カナダのメープル街道の紅葉を見に行きました。

メープル街道はカナダのナイアガラフォールズからケベック・シティへと続く、全長約800kmの通称でGoogleマップにも可愛いメープルのマークがついていました。今回はメープル街道の中でモントリオール(フランス語圏ではパリに次ぐ2番目の都市)からケベックシティまでの約250kmをドライブしました。

メープル街道の沿道にはカナダ国旗のデザインにもなっているメープル(楓)の木が多く,どこまでも続く大地の広さと紅葉の美しさと空の青さに感激しました。日本のサービスエリアのような休憩所はあまり整備されていませんが,紅葉ポイントは幾つも整備されていて,見事な紅葉を独り占めしてきました。

ドライブするだけで十分に紅葉を満喫できましたが,カナダドライブの注意点は標識がフランス語なので,もし,カナダをドライブするときは予め地名と東西南北のフランス語は覚えておいたほうがいいかもしれません。北:nord ,南:sud,東:est,西:ouestなので,北,南,東は最初のn,s,eのアルファベットで想像できましたが,最初にouestをみたときは?でした。

紅葉の後はケベックシティでその素敵な街並みを散策しました。

ケベックシティはセントローレンス川に面した美しい街で,城壁に囲まれた丘の上にある旧市街は世界遺産に登録されています。その歴史は古く1608年の入植以来,北米大陸のフランス文化の中心となっており,18世紀に英国の支配下になり,1867年にカナダが建国された後もこの地ではフランス文化が根付いています。ケベック州ではフランス語が公用語で,お店の看板などはフランス語表記が義務付けられているそうです。写真の中世ヨーロッパの城のような建物はケベックシティのランドマークとも言えるフェアモント・ル・シャトーフロントナックというホテルです。

旧市街の城壁の外はロウアータウンと呼ばれ、その観光の中心となっているプチ・シャンプラン地区の通り沿いには可愛らしい雑貨屋やカフェが並んで,観光客で賑わっていました。

ボストンの紅葉はケベックより2週間ほど遅れて始まり,チャールズ川沿いの木々もとても綺麗に色づいて来ました。この紅葉は毎日の通勤でも見ることができるので,落葉樹が緑から黄色,赤に変わっていく様子が観察できました。今年はハリケーンSandyが来たせいで,一気に葉っぱが落ちてしまいましたが…。

紅葉が終わるといよいよ本格的に寒くなってくるので,冬に向けての防寒具の準備をしないといけません。また,街はハロウィンからクリスマスモード一色に早変わりです。

第7回(2012年11月)

ボストンだより 11月

柳井 亮二

マサチューセッツ眼科耳鼻科病院の眼科部門では毎週木曜日の朝8時からGround Roundsが開催されています。

ここで行われているGround Rounds は角膜,緑内障,網膜,神経眼科,眼形成など各部門のレジデント2名が50-60枚程度のスライドを使って,30分の持ち時間で発表を行っています。この時間に手術や外来などがないすべてのスタッフやレジデントが参加して行われており,外来があっても途中まで参加したり,開業医やリサーチフェローも参加することができます。

発表はフェローやレジデントによる実際の症例検討形式で進められ,まずは患者の「年齢」,「性別」と「主訴」が提示されます。

眼科一般の検査結果が出たところで,スライドを一旦止めて,司会担当の教官から質問が飛んできます。「次にどのような検査をするのか?」この質問はレジデントだけでなく,その症例の関わっていない場合には他の専門分野のスタッフにも質問がいくときがあり,教授や講師でも容赦なく厳しい質問が飛んできます。

例えば,「突然の左眼の痛みと複視」で来院した若い女性に対しては「Imaging(画像診断)」と1人が答えると,次の人が「CT, MRI」,別の人が「まずは外来で超音波」などと口頭試問形式で討論していきます。発表しているレジデントは答えを知っていますが,この時はまだ黙っていて,ある程度回答が集まってから,司会者がスライド進行を進めて,実際に行った検査を知ることができます。

次にもう少し検査を進めていったところで,今度は「これから考えられる鑑別疾患は?」という,質問が飛んできます。ここでも,レジデントからスタッフに至るまでランダムに質問され,マイクが回ってくるため,緊張感をもってスライドの情報を漏らさないように集中できます。

レクチャー形式ではないため,自分で考えることができること,スタッフの診断に至る論理展開を学ぶことができることが非常に有益です。また,鑑別診断の表が必ず出てくるため,とても勉強になります。レクチャーではある病気についての情報を広げていく形で講義が進みますが,症例検討ではそこまでは自分で知識を学んでおかなければならないため,レジデントにとっては日頃の勉強の成果が常に試されます。逆に教える側のスタッフの回答からもその実力が試される機会となりますので, のんびりと構えてはいられない時間となるようです。

このGround Roundsでの症例検討会で特筆すべきことは,画像診断のスライドは,マサチューセッツ総合病院の放射線科診断医,放射線治療医,感染症医や腫瘍科医などが直接登壇して,CTやMRIの説明と鑑別診断などを詳細に説明し,眼科スタッフからの質問にも放射線診断医の立場からコメントすることです。

放射線診断医が同席して症例検討を行うことで,レジデントの眼科医が事前に放射線読影室に質問にいくよりも更に深い討論をその場で行うことが可能です。病理診断においても,眼科病理の教授が同席するため,その場で病理診断の講義のようなコメントを聞くことができ,とても勉強になると共に,病理学の大切さと不勉強を改めて感じさせられます。

確定診断のあとは実際行った治療とその後の経過の説明があり,診断された病期についての文献的考察と研究的治療の有無などが有名な雑誌を引用しながら行われ,最後に「Take Home Message」が示されます。これは今回の症例から学んだ最も大切なこと,家に帰っても覚えて置かなければならないこと,症例検討のまとめをスライドにしています。最後のTake Home Messageを格好良く決めて終わると発表内容がとても印象に残ります。

そして,最終スライドで必ずアメリカのレジデントはもともと発表が上手な人が多く,スライドもYou Tube動画があったり,患者の訴えをムービーで実際に見せたりと工夫がありますが,準備と発表のリハーサルは随分大変なのだろうと思います。そのため,Acknowledge スライドでは,実際に診療に関わった先生の他に,指導に関わった先生の名前も必ず紹介されます。

このようなレクチャーを毎週軽い朝食をとりながら行い,レジデントの教育のみならず,すべてのスタッフが切磋琢磨している様子はとても素晴らしいものです。このようなことができる要因の一つはレジデント数に比べはるかに多いスタッフ数がなせるものだと思います。日本の大学病院のシステムではこのような症例検討会やレクチャーをすることは難しいと思いますが,その分,地方会や研究会などでの発表を大切にしていくことで対応することが現実的なのかもしれません。

第8回(2012年12月)

ボストンだより 12月

柳井 亮二

アメリカの12月は、クリスマスとクリスマス休暇の準備で、街が慌ただしくなってきます。クリスマスツリーや光のイルミネーションが街の至る所に飾り付けられ、クリスマスムードを味わうことができます。

12月に入ると、スーパーにもみの生木やリースが並びはじめ、良い香りでいっぱいになります。自宅のデコレーションは、本物のもみの木を買ってきて、オーナメントや電球を飾る家も多く、週末は、屋根にもみの木を積んで走る車をよく見かけます。

自宅の玄関にはリースを、室内にはツリーを飾り、それぞれの好みに合わせてクリスマスを楽しみます。ほとんどの家にクリスマスツリーがありますので、住宅地を散歩したり、ドライブしたりするだけでもいろいろな家のデコレーションを見ることができて,クリスマス気分を楽しめます。さすが本場です。日本では、11月を過ぎる頃からイルミネーションや光のライトアップが始まり、テレビのニュースを観ると、アメリカのクリスマスより、派手で賑やかな印象です。

アメリカは、その建国の歴史から、人口の80%がキリスト教で、キリスト降誕をお祝いするクリスマスは、とても大事な行事で1年で最も盛り上がるイベントのひとつです。

アメリカのクリスマス12月25日は祭日ということもあり,遠方であっても家族や親戚が集まり,食事をしたり,教会のミサに行ったりします。雰囲気としては日本のお正月のようです。クリスマスはほとんどすべてのお店,レストラン,デパートが休みで,ガランとした街を歩いていると昔の日本の正月の様で,懐かしく思いました。ラボの同僚に話を聞くと,アメリカのクリスマスの食事はハムや肉がメインで,日本のようにフライドチキンやケーキを食べる習慣はないそうです。日本のクリスマスは随分と商業的になっているものだと実感しました。

しかし,子供たちは宗教に関係なくサンタクロースの存在を信じており,サンタからのプレゼントを楽しみにしているようです。また,クリスマスシーズンには挨拶の最後に「Merry Christmas」(キリスト教の場合)や「Happy Holidays」(キリスト教以外の場合)という言葉をつけるため,自然にクリスマスのお祝いムードや休暇モードが盛り上がってきます。

一方,大晦日から新年にかけては外出して、レストランに食事に行ったり,カウントダウンのイベントや花火を見に行ったりすることが多いようです。花火も家族用に7時頃上がるものと,カウントダウンの直後に新年を祝って上がるものとに分かれています。

日本では、お正月の三が日は、お休みモードでのんびり家族と過ごしますが、アメリカでは1月2日から通常通りに学校も仕事も始まりますので,日本の正月にように正月休みという感覚はありません。閑散としていた道路も地下鉄も一気に平常通りの活気をとり戻ります。面白いことに年明けにはジム通いをする人が1年で最も多くなるそうで,クリスマスシーズンに食べ過ぎで弛んだ身体をシェイプアップするためだそうです。ジム通いを趣味にしている同僚は通勤の混雑よりもジムの混雑の方に不満を漏らしていました。私の住んでいるボストン・マサチューセッツ州は全米中でも肥満率が低いことで知られていますが,体型を気遣っている人が多いことも要因となっているのかもしれません。本日の気温マイナス10度。私も自宅近くのチャールズリバー沿いをジョギングしてきます。

第9回(2013年1月)

ボストンだより 1月

柳井 亮二

ボストンの1月は1年で最も寒い月で,平均の最高気温が2度,最低気温がマイナス6度です。風が強い日が多く,体感気温は実際の気温よりも5-10度低く感じるため,冷凍庫の中にいるようです。日本の豪雪地帯に比べると降雪量はそこまで多くありませんが,気温が上がらないため一旦雪が積もるとなかなか溶けません。ボストン市内を流れるチャールズ川は夏にはたくさんのヨットやボート,カヤックでにぎわいますが,冬の間は全て片付けられます。川の水面はすべて氷に覆われ,その上に降り積もった雪で全く別世界に姿をかえます。

川はその上を歩けるくらい凍っていますが,雪のために氷の厚さがわからず,,薄くなった氷の上を歩いて川の中に落ちる人が毎年数人いるようです(もちろん危険なので禁止されています)。

夏の間は木々の緑が美しいボストンですが,冬もまた一面の銀世界が広がり,天気の良い日には澄んだ青空と光が氷雪に反射してキラキラするため,とても綺麗な光景が広がります。

ボストン市民の憩いの場となっているPublic gardenの池も完全に凍ってしまいます。ここは120年続いている白鳥の観光ボートが有名な池ですが,冬の間は自然のアイススケート場になっていて,スケート靴を持参した市民がスケートを楽しんでいます(無料)。

ボストンの寒い冬は,池や湖が完全に凍ってしまうので,夏場には行くことができない池の中央まで歩くこともできます(私も池の真ん中へ行ってみました)。

池の端の方では,自分たちで氷上を滑りながらベニヤ板を使って雪で囲った自前のホッケーコートを作り,今まで履いていたスノーブーツをゴールにして,草アイスホッケーをする人達もいます。

さすが北国の若者はアイススケートやアイスホッケーに馴染んでいるようで,巧みに氷上を動きまわって見事なゴールを決めていました。日本の草野球のような感覚なんでしょうか。

今週は最低気温がマイナス18度,最高気温がマイナス8度で,まだまだ寒い日が続いていますが,クリスマスの時期は午後4時には真っ暗だった空も,最近は日に日に昼間の時間が長くなってきました。とても厳しいボストンの冬ですが,その分,春がとても待ち遠しく,「春が来たら思う存分楽しもう」と綺麗な新緑を目に浮かべています。

第10回(2013年2月)

ボストンだより 2月

柳井 亮二

アメリカで生活していて食料の買い出しが日本と随分異なっているので,少し紹介したいと思います。日本では新鮮な魚や野菜などの食材を買うために,こまめに買い物にいく事が多いと思いますが,基本的にアメリカでスーパーに食材を買いに行くのは多くても週に一回くらいです。我が家も買い出しは基本的に月に一回です。だから,一回の買い物の量が大量になります。冷蔵庫も大きいので保存可能なものは一回で1ヶ月分買っています。

アメリカのスーパーに行き,まず驚くのはカートの大きさです。日本に帰ってスーパーに行くとカートが小さいのに逆に驚きます。アメリカでは大きなカートいっぱいに買い物しますが,一度に買う量が多いので,一包装単位が大きく,牛乳やジュースなどはガロン(1ガロン=3.8リットル)で売っていますし,お菓子などのパッケージも日本より大きくなっています。ガロンボトルだと最初は飲み物というより灯油のような感覚でしたが,慣れてくると日本の小さいボトルに違和感を覚えます。

店内で目を引くのは同じ製品を綺麗に陳列している棚で,こんなにたくさんのストックがいるのかと思うくらい,同じ物が遥か遠くまで並んでいます。野菜売り場も新鮮な野菜がそのまま並んでいて,欲しいだけ袋に詰める量り売りです。ミネラルウォーターは街で買うと1本2ドルくらいしますが,スーパーでは24本セットで買っても2.99ドルです。

品揃えとストックの多さのために売り場面積も大きなスーパーが多く,生活に慣れない時期は店内を無駄にうろうろしてしまい,それだけで疲れていました。

大きなスーパーは大量購入には向いていますが,ちょっと欲しいものがあってもなかなか見つけることができなかったりするので,まずはどこに何がおいてあるのかを確認しておいたほうが後々役に立ちます。

週末には大きな駐車場が満車になるほど買い出し客が押し寄せてきて,大きなカートいっぱいに買い物していくので,スーパーのレジの様子は圧巻です。混雑する時間になると,20台以上あるレジに長い行列ができます。

レジにはレジ打ちと袋詰するアシスタントがいます。日本では,レジに行くと買い物カゴをレジ台にのせ,レジ打ちが終わると各自で商品を袋に詰めますが,アメリカではレジ台がベルトコンベアになっており,買ったものを自分でコンベアの上にのせます。レジ打ち係はコンベアを移動させながら,品物をスキャンしてはアシスタントに放り投げて,アシスタントが袋に詰めてくれます。さすがに卵などは投げませんが,買った品物が投げられるのを初めて見た妻は「なんて行儀が悪いんだ」と驚いていたようですが,今では何とも思わなくなった普通の光景になっているそうす。慣れというのはすごいものだと思います。 現在,ボストン近郊には日系のスーパーはありませんが,韓国系のスーパーなどでは,お米やある程度の日本食材,日本製品も置いていますので,特に生活に困ることはありません。しかし,日本の2-3倍以上の値段なので,高くてなかなか手が出ません。

もう一つよく利用するスーパーはTrader Joe’sで,こちらは西海岸発祥のオリジナル製品を色々開発しているスーパーです。冷凍の枝豆やかき揚げの天ぷらがあったり,ニューヨークチーズケーキなども甘すぎないのに濃厚でとても美味しく,オーガニック商品も豊富にあります。

食料品の他に,各都市のデザインの描かれたエコバックなどもいろいろな種類があり,エコ意識も追い打ちをかけていて人気の商品です。なんといってもおすすめはオリジナルワインCharles Shaw Blendで,1本“たったの”2.99ドルです。2.99ドルでも私にとっては味や品質は全く問題なく,かえって高いワインよりも飲みやすくて美味しいくらいです。赤と白に葡萄の種類がそれぞれ2種類ずつあり,どれも2.99ドルで買えます。日本ではワインなど飲んだことがありませんでしたが,ビールなど他のお酒よりも安いので,食事の時にワインを飲むことが多くなりました。

出張でアメリカに来ていたころは,なかなかスーパーで買物をする機会はありませんでしたが,実際に生活してみると,買い物するだけでも日本との違いに驚かせられることも多く,こういう場面でも文化や習慣の違いが見えてきます。

第11回(2013年3月)

ボストンだより 3月

柳井 亮二

3月のボストンは日本に比べるとまだまだ寒い日が続きます。2013年の日本の春はとてもあたたかいということをニュースで見ましたが,ボストンでは3月でも毎週のように吹雪がありました。今回はボストンの雪対策について感じたことをまとめてみたいと思います。

山口で雪が降ると交通が麻痺して大渋滞になりますが,こちらでは雪が降ることはあまり問題になりません。雪の質の違いもあるかもしれませんが,除雪作業が徹底されているのが功を奏しているようです。幹線道路の除雪は大型の除雪車を使って行われます。

アメリカの除雪車はダンプカーの前方にブレードを装着したもので,走りながら雪を路側帯の方へどんどん掃いていきます。雪が降り始めるとどこからともなく除雪車が現れ,あっという間に雪をかき分けて行きます。

この除雪車が2台、3台で編隊を組み,雪が降っている間はずっと除雪をしながら走り回ってくれます。雪をかき分けたあとは,大きな雪山ができてしまいますが,この雪はブルドーザーで集められ,大きなダンプカーがあっという間に雪捨場へ運んでいってくれます。

夜中に吹雪くことが多いですが,一晩中除雪作業が行われているので,翌朝の通勤時間までにはすっかり雪がなくなっています。お陰で夜中の雪のせいで朝に渋滞が発生することはありません。吹雪のあとには人の背丈よりも高い雪山が駐車場の片隅にできていますが。

吹雪の前には専用の車を使ってあらかじめ大量の凍結防止剤も撒かれているので,それも効果的なようです。

歩道の雪かきには小さめの除雪車が出動して,やはり雪を掃いて行ってくれます。道路の大きさに合わせていろいろな除雪車があるので,その仕事ぶりを見ているだけでも楽しいものです。

雪国出身の方に聞くと日本では除雪費用がなくなってしますと,シーズン途中でも公的な除雪はされなくなるそうです。そういう意味でもボストンはたくさん費用をかけて雪対策をして,通常の生活を守っているのではないかと思いますが,このおかげで厳しいボストンの冬でもあまり支障なく過ごせていると思います。これは経済活動を含めて,冬場の活力を維持するためにはとても効果があるのではないでしょうか。ただし,自宅の雪かきは各家の担当なので,家の周りの雪かきはボストンでもなかなかの肉体労働のようです。

さらにボストンに来てとても驚いたことは,ボストンの車は冬でもオールシーズンタイヤで,スタッドレスなどの冬用タイヤを履いている車がないことです。どんなに雪が降っていようとも,みんなスイスイと車を運転しています。スタッドレスなのに,みんなでノロノロ運転している山口では考えられない光景です。

第12回(2013年4月)

ボストンだより 4月

柳井 亮二

私の4月の留学だよりは、第117回の歴史を誇るボストンマラソンの様子を賑やかにお便りしたいと決めておりましたが、それが一転、悲しみにかわりました。 今回のボストンテロ爆発事件で、ご心配をいただきありがとうございました。

マラソンランナーの憧れであるボストンマラソン。 4月15日はマサチューセッツ州の祭日で、独立戦争を記念した『愛国者の日』に合わせ、100年以上の歴史と伝統をもつボストンマラソンで、今回このようなテロを起こした行為は許されません。

ボストン市内の幹線道路を通行止めにして多くの住民もボランティアや観客として参加する市をあげてのイベントとして知られ、大会を盛り上げていたさなかに起こった2度の爆発は,盛大な応援と歓喜を一瞬にして恐怖に陥れた許しがたい惨事を引き起こしました。

私は、ボストンマラソンには参加できなかったものの,ランナーを応援しようと,ちょうどゴールの横で声援をおくっていました。あまりの人の多さに少し移動しながら応援していましたが、爆弾が爆発した場所には30分前まで立っていたところで,少しの時間の差で,我々は事件に巻き込まれずに済みました。

幹線道路や各駅には警察と軍による警備が強化され、今朝もまだ、いつもと違う様相に哀しくなります。

日本から200人以上の参加者にもかかわらず被害者は報告されていないようで、ホッとしていますが、今回幼い子供の命を含む3人の亡くなられた方のご冥福と、150人とも190人ともいわれる被害にあわれた方の一日も早い快復をお祈りしています。

桜が咲き始めたボストンに、平和が戻ることを願っております。

第13回(2013年5月)

ボストンだより 5月

柳井 亮二

The Association for Research in Vision and Ophthalmology (ARVO) は、毎年5月にアメリカで開催されている世界で最も大きな眼科研究に関する学術集会です。1928年にワシントンDCで73人の眼科医で初めて開催されたのが始まりです。現在の会員数は13000人ほどで,80カ国以上の国と地域から眼科の研究者が参加しています。

私が眼科医になってからは,毎年フロリダ州のフォート・ローダーデールで開催されていましたが,今年から開催場所が毎年変わることになりました。今年はアメリカ西海岸のシアトルでの初の開催です。シアトルは昨年までシアトル・マリナーズにイチロー選手がいたので日本人には聞き馴染みのある街かもしれません。私もポスターを抱えて,ボストンから5時間のフライトでシアトルに行きました。

今年のARVOミーティングの参加者は15000人を超えていたとのことでした。会場となったシアトルコンベンションセンターは地上8階建ての2つのビルディングを渡りロビーでつないだ巨大な建物で,最終日まで迷子になるくらい広い施設でした。毎日1000題以上のポスター発表があり,一般演題,シンポジウム,教育講演,特別講演なども同時進行で開催されている巨大な学会です。器械などのメーカーの展示会場も全て歩いて回る事ができないくらいたくさんあります。ポスターの日は午前8時半までに自分のボードにポスターを展示して,夕方5時半までの発表になります。自分のポスター発表の2時間と全体発表の1時間30分の間,ポスターの前に立って,様々な研究者と説明,質疑応答,議論を繰り返します。ARVOでは当然すべて英語でのやりとりなので,大学院生の頃はポスター発表でも質疑応答に大変な苦労をしたことが思い出されます。留学中の現在は以前に比べると楽に話せるようになりました。学会に来る研究者はアメリカ以外の人も多いため,質問に来る人の英語も流暢でない場合もあります。お互いに一生懸命理解しようとすることも話しやすくなる要因です。また,自分の発表内容はよく知っていますし,専門用語もかえって慣れているので,英語が苦手な場合でも学会で話す癖をつけると,日常の会話にも自信が出て話せるようになってくるのかもしれません。

さて,英語漬けの長い学会の後の楽しみはラボの仲間と夕食に行くことです。今回は山口大学と留学先のラボメンバーとでステーキを食べに行きました。シアトルはシーフードが有名ですが,ステーキもとても美味しくサイズはやはりアメリカンな大きさでした。

学会でのもう一つの楽しみは訪問先での観光です。シアトルはスターバックス一号店やマイクロソフト社,ボーイング社などの本社があることで有名な街です。私たちの知っているスターバックスは緑のマークですが,シアトルの一号店は茶色のマークが3つ並んでいるのが目印です。一号店の前には毎日人だかりができていました。

また,会場から歩いて10分くらいのところには1907年から100年以上に渡り続いている大きなマーケットがあり,老舗の魚屋さんでもARVO歓迎の旗が立っていました。シアトルの街はシーフードが有名で,街があまり大きすぎず,ボストンに似ている雰囲気がありとても過ごしやすい街でした。街のいたるところにスターバックスがあるのが印象的でした。

来年はディズニー・ワールドがあるオーランドでの開催ということで,発表のあとには楽しい観光が待っていそうな雰囲気です。今から研究の準備に取り掛かって是非とも来年も参加したいと思います。

第14回(2013年6月)

ボストンだより 6月

柳井 亮二

今月はアメリカの都市部で普及しつつあるカーシェアリングについての話題です。

アメリカは車社会ですが,アメリカで生活してみると買い物に行くにも週末に遠出するにも車は必需品です。ただ,私は今回の留学では車を購入せずに生活しています。といっても車を使っていないわけではなく,カーシェアリングというシステムを利用することで,必要なときに必要な時間だけ車を借りて乗っています。  アメリカのカーシェアリングはZipcarなどが有名で,時間制で車をレンタルするシステムです。レンタカーとの最大の違いはあらかじめ会員になることで,煩雑な手続きなしですぐに利用できる点です。車を借りるのは電話かオンラインで予約をするだけで,直接駐車場に行ってフロントガラスの受信機に会員カードをかざすとドアロックが解除されて,すぐに運転出来ます。

日本でも都会ではカーシェアリングが始まっているという話を聞きますが,アメリカでは,すでに多くの大都市で普及しており,一旦会員になるとどの都市の車でも利用できます。

料金もガソリン代と保険料込で,30分単位でレンタルできるため,効率よく利用するととても経済的です。レンタカーに比べ車を配置している数が圧倒的に多く,ボストン市内であればどこにいてもすぐ近くの車を借りることができます。

例えば,私のラボの近くで車を利用できる場所を検索するとこんなにたくさんの待機中の車がある駐車場がでてきます。

ラボがボストンのダウンタウンの中心にあるため,近隣の駐車場はとても高額で,アパートの駐車場代が高いことを考えると,カーシェアリングは随分と生活費を抑えてくれていると思います。

個人的に嬉しいのは,予約の際に車種も選択できるため,いろいろな車を運転できることです。コンパクトカーやミドルクラスが多いですが,ミドルクラスのSUVなどもあり,たくさんの車の乗り比べをするのも楽しみの一つです。年譜なども違うと思いますが,車種の違いによる値段の上下があまりないのも良い点です。

その上,半年から1年で車の入れ替えがあるようで,常に新車が配置されています。自分の車でないため,メンテナンスが心配でしたが,これまで大きなトラブルに遭遇したことはありません。一度,駐車場で会員カードを紛失することがありましたが,お客様センターに電話して,遠隔操作でドアのロックを解除してもらい,無事に帰ってくることができました。また,駐車場で予約した車が見つからない場合にもカスタマーセンターに連絡すると,遠隔操作でクラクションを鳴らしながら,目的の車まで誘導してくれます。

さらに最近は自転車シェアリングも広まっていて,ボストン市内の至る所に自転車ステーションが設置されています。ちょっとした移動に便利なのと観光客が市内散策のためによく利用しているようです。自転車シェアリングも,無人ステーションで料金をチャージしてすぐに利用できるシステムで,大きな都市ではよく見かける光景になってきているようです。

カーシェアリングも自転車シェアリングもエコで,経済的なシステムで,超浪費社会のアメリカでこのようなシステムがどんどん発展している様子は,色々な人が様々に生活している状況を反映しているようで,とても面白いと思います。

第15回(2013年7月)

ボストンだより 7月

柳井 亮二

ボストンでの留学生活も残り1ヶ月となりました。アメリカは5月から7月が卒業シーズンで、私の留学修了も卒業シーズンに重なり、臨床のレジデントや同時期に帰国する研究生たちと一緒に卒業セレモニーに参加しました。

会場には卒業生、指導教官のほか、卒業生の家族も参加しており、各自の門出をみんなでお祝いするという雰囲気がとても素敵でした。

ラボの大ボスでマサチューセッツ眼科耳鼻科病院の病院長でもあるJoan Miller先生の挨拶のあと、卒業生一人一人に卒業証書が授与されました。卒業生の経歴の紹介と今後の進路がアナウンスされ、3年間一緒に過ごしてきた仲間が今後はそれぞれの将来の方向へ旅立っていきますが、その輝かしい未来に対しても盛大な拍手が送られていました。

授賞の時にアメリカでは当然のようにハグをしますが、欧米人のスマートなハグに比べ、慣れていない我々はどうも堅苦しいハグになってしまうのが残念です。特に偉い先生とハグするのは緊張しますね。アメリカへの留学中には英会話、スマイルとこのような生活習慣の習得をしっかりしておくのは大切です。

卒業証書をもらうと留学を始めた時からの記憶がいろいろ思い出されましたが、これでボストンともお別れなのだということを改めて実感して、とても寂しく感じられました。

留学中に何度も耳にした言葉にcutting the edgeというフレーズがあります。これは最先端の知識、技術を表しており、「常に最新の医療をハーバードから世界に発信していこう」というスローガンになっています。どのミーティングに参加しても、まだ人類が解決していない問題に対する意欲と勤勉さは素晴らしく、このことが医学だけでなく、あらゆる分野でハーバード大学が世界をリードしている要因なのだということを肌で感じることが出来ました。

ラボの送別会はボスの家のホームパーティで盛大に催していただき、たくさんの友人とその家族たちに送り出していただきました。日本ではなかなか家族で参加する職場の行事というのはありませんが、アメリカでは家族と一緒に参加する機会が多く、とても楽しくお付き合いさせていただくことができました。

留学最終日、ラボでの片付けを終え、ラボを去る前にラボの横にあるバーで、ボスと同僚と最後の送別会をしていただきました。まだまだ共同で研究することもあり、お互いの今後の健闘と再会を約束して別れてきました。ボスには最後の最後まで心からの気遣いをしてもらい幸せな留学生活でした。

今回の留学にあたっては、留学の機会を与えてくださった眼科学教室の園田康平教授、山口大学眼科学教室の医局,同門会や眼科医会の先生方に多くのご支援を頂きました。この場をお借りして厚く御礼申し上げます。

私がアメリカでの研究に憧れを抱き続けることができたのは、入局当時よりアメリカでの楽しい生活や研究の話を熱く語り聞かせてくださった西田輝夫先生(現山口大学副学長)のお姿があったからです。この2年半の留学生活を経験することによって日本では見えなかったものがみえてきたように思います。今後の目標,夢などについても改めて考える時間をもつことができました。今後はこの経験を日本での診療、教育、研究に活かすことで、精一杯の恩返しをさせていただきたいと思います。眼科医として研究者として頑張っていきたいと思っておりますので、今後とも御指導,ご鞭撻いただきますよう何卒よろしくお願いいたします。

留学体験記