山口大学医学部眼科山口大学大学院医学系研究科眼科学

折田先生のロンドンライフ

第1回(2016年5月)

留学生活スタート

折田 朋子

みなさん、お元気でしょうか。早いもので、ロンドンに来て1か月が経とうとしています。来たばかりの頃はとても寒く、4月でこんなに寒いのなら冬はどれだけなんだろう・・・、と不安を感じ、持ってきた洋服の半分が半袖であったことを後悔しましたが、5月に入ると少しずつ暖かくなってきました。

私が今所属しているのは、木村先生と同じくUniversity College London (UCL)の眼研究所です。部署は違って、木村先生は血管新生が主な研究テーマでしたが、こちらは眼の発生や腫瘍となります。ボスは日本人の大沼信一教授で、日本語でdiscussionできる人がいることが何よりも心強いです。まだ来たばかりで実験をがっつりやっている感じではないですが、やっとテーマが決まり、少しずつ軌道に乗せていければと思っています。

よく、ロンドンの生活にはもう慣れた?というお言葉をいただきますが、前任の木村先生がいろいろ手配してくださったお陰で、何不自由なく生活できています。ただ、一人暮らしに慣れるのにとても苦労していて(特に料理)、なかなか大変です。今の時代、ありがたいことにインターネットがあるのでなんでも調べることができ、今となってはクックパッドが私のバイブルと化していますが、調味料が若干違うのと(ポン酢やみりんが手に入りにくい)、スーパーマーケットの品ぞろえが良すぎることに戸惑います。小麦粉一つとっても種類がたくさんあり、レシピに書いてあるような普通の小麦粉ってどれだろう・・・、と小麦粉売り場で10分ぐらい佇んだこともあります。料理をあまりしてこなかったのと、表記が英語(漢字だと形で認識できますが、アルファベットはいちいち全部読まないと意味をなさないので時間がかかる)なのとで、買い物一つも満足にできない自分にがっかりします。でもこれも勉強だと思って日々、家事を頑張っています。

生活するうえでもうひとつ大切な要素である言語ですが、もともとnative speakerの英語は早すぎて聞き取りにくい上に、さらにいろいろなアクセントの英語があって、こちらもなかなか大変です。アメリカ英語で教育を受けてきたせいか、きれいなアメリカ英語以外は本当に聞き取りづらく、テレビはもちろん、駅でのアナウンスですら何て言っているのかよくわからない、なんていうことも多々あります。しかしながら人種のるつぼでもあるロンドンでは私よりももっと英語がわからない人達が堂々と生活しているので、最近は開き直って何度でも聞き返すようにしています。 次回はラボについてお話ししようと思います。それではまた。

第2回(2016年6月)

ラボ紹介

折田 朋子

みなさん、いかがお過ごしでしょうか。6月に入り、少しは暖かくなるかな、と期待したものの、曇や雨の日は最高気温が15℃前後と肌寒く、未だにコートが手放せないロンドンです。 さて、今日は私が所属しているラボについてご紹介したいと思います。前号でもふれたとおり、このラボのトップは日本人の大沼信一教授です。もともと東北大学のご出身で、そこからアメリカで研究された後に渡英され、ケンブリッジ大学を経てロンドン大学へ赴任されました。発生、腫瘍、神経科学の専門家で、眼科に関しても網膜をはじめとした幅広い研究活動を行っておられます。また日英学術交流の窓口としても精力的に活動されており、在英日本人研究者をほぼ把握しておられるのでは、と思うぐらいとても顔が広い方です。

大沼ラボのメンバーは私を含めて7人いて、私とイギリス人のスーパーバイザーを除けばみな大学院生という、とても若いラボです。博士課程の女の子が2人と、修士課程の男の子が3人です。国籍は見事にバラバラで、台湾、モンゴル、サウジアラビア、タイ、マルタ共和国と国際色豊かです。当然英語でコミュニケーションをとるのですが、台湾生まれだけどニュージーランド育ち、とか、モンゴル生まれだけどスイス育ち、サウジ生まれだけどアメリカ育ち、タイ生まれだけど諸外国に留学経験あり、マルタ共和国は地中海に位置していてイタリア文化圏だけどなぜか公用語は英語、とみんなほぼnative speakerかそれに近い状態で、満足に話せないのはなんと私だけという絶望的な状況です。ただ、研究に関する重要なディスカッションは大沼先生と日本語で話せるし、ラボのみんなもとても優しいので、根気強くゆっくり話してくれるお陰で、何とかやっていけています。息抜きに近くの公園で一緒にランチしたり、仕事が終わって誰かのお家に行って遅くまで入り浸ったりと、学生時代に戻ったかのような生活がとても新鮮で楽しいです。

実験室は、学生ばかりで人の入れ替わりが激しく、実験助手もいないので混沌としています。どの試薬やサンプルがどの場所にある、というのをすべて把握している人は少なく、みんな個々で管理しているので、何か一つ探すのに全員に聞かないといけません。またゴミ捨てやチップ詰め、試薬作りなどはすべて自分たちでやらなければならず、ここにきていかに山大での研究環境が恵まれていたかということが身に染みてわかりました。何事も勉強になります。

それでは今回はここらへんで。See you next month!

第3回(2016年7月)

イギリスの「今」

折田 朋子

みなさん、いかがお過ごしですか?

6月のイギリスはEU残留か離脱かを問う国民投票のこと一色で、職場でもパブに行ってもみんなそのことについて議論しあい、テレビでも討論番組が多かった(投票2日前にはキャメロン首相が離脱派相手に集中砲火浴びている番組もあった)のですが、投票が終わってからは少しずつ日常に戻りつつあります。お陰でreferendum(国民投票)とrefugee(難民)という単語を覚えることができました。

そもそもキャメロン首相は残留を説いていたのになぜわざわざ国民投票をしたのか、そんなのしなきゃよかったのに、と不勉強の私は思っていたのですが、もともと2013年の選挙の時に、保守党が勝つために国民投票実施を公約として掲げていたようです。EUに参加する国が増え、東ヨーロッパなどの貧しい国々からの移民が増大する(イギリス政府からもらえる社会保障手当の額が母国の一か月分の給料に相当するような国もたくさんある)とともに、職や住む場所を追いやられたイギリス人たちの不満が高まる中、そういった離脱派の票を得るための公約でした。キャメロン首相としては、ポンド使用の継続や、移民流入や彼らへの社会保障手当を制限できるといった、EUの中でもイギリスは特別な地位にあるということ、経済もうまくいっている(実際EUの中ではドイツとイギリスが勝ち組だったようです)ことなどを挙げ、今回の国民投票でも勝つつもりでいました。しかし、離脱派のボリス・ジョンソン(前ロンドン市長で次期首相候補と目されていた人物)や右翼政党UKIPのファラージ党首、マイケル・ゴーブ司法相らなどの巧みな誘導により、浮動票、特に高齢者や低所得者層が離脱派へと流れ、離脱が決定的となりました。この国民投票の結果を受け、キャメロン首相は辞意を表明し、離脱派として熱弁をふるっていたボリス・ジョンソンも党首選出馬を辞退(キャメロン首相と同じ立場だと勝ち目がないのでわざと逆の立ち位置にいたが、実際離脱した後のイギリスを引っ張っていく覚悟がなくて逃げたんだ、というのがイギリス人たちの見解)、スコットランドは独立すると言い出すし、離脱派が唱えていた医療保障の増額もうそだったことがわかり、国民投票をやり直すべきだとの声も大きくなり、一時はどうなるかと思いきや、今のところ大きな混乱もなく落ち着いてきています。個人的にはポンドが少し安くなってうれしいのですが、今後はEUからの輸入品に関税がかかったりして物価がさらに高くなることが予想されます。

EUから離脱したイギリスがどのように生き残っていくか、今後の去就に注目です。

第4回(2016年8月)

ロンドン夏の風物詩

折田 朋子

日本はうだるような暑さだと思いますが、皆さまお元気でしょうか。

8月に突入しましたが、私がロンドンに来て30℃を超えたのは、7月下旬のたった2日間だけ。その暑かった日に日本から持ってきたTシャツをやっと引っ張り出してきて、これから夏だーっと思いきや、その後また気温が下がり、いまやすごく晴れた日でも最高気温が25℃いくかいかないかで、朝晩は寒く、またTシャツをクローゼットの奥にしまいました(泣)。溶けるような暑さも嫌ですが、夏の暑さを実感できないのも寂しいものだな、としみじみ思いました。

渡英して3か月以上経ちましたが、英語は相変わらずです。外国で生活すればそれなりに上達するものだとばかり思っていたのですが、全くそんなことなくて、おそらく努力しない限りはずっとこのままなんだろうなと思いました。できるようになったことといえば料理と乗馬ぐらいで、一体何しに行ったんだ、と言われそうな感じですが、研究のほうはゆっくりと進んでいます。こちらで初めてやることも多く、ほかのメンバーが経験あることなら彼らに聞けますが、誰もやったことのないことを始めようとするときは本当に大変です。いつかいい結果がでればいいなと思いつつ頑張っています。

さて、夏でも寒いロンドンですが、催し物はたくさんあります。木村先生も書かれていましたが、7月中旬から9月上旬にかけて毎日行われるクラシックコンサート、通称プロムスや、公園やマナーハウスのお庭で上演される屋外演劇や映画、もちろんミュージカルやバレエ、オペラなどは季節に関係なく開催されています。特筆すべきは、どれもクオリティが高いのに安いということです。基本的に席によって値段は違うのですが、一番安い立見席などは5ポンド程度(700円ぐらい)で、会場の形状によってはこの立見席が一番いいかぶりつきのポジションで観れたりします(ただし、結構前から並ばないといけません)。日本だと1~2万円前後はするだろう演目が千円以下で観られるのはとても魅力的です。山口に住んでいると、人気の舞台やミュージカルを観ようと思っても福岡や東京まで行かないとなかなか機会がありませんが、ロンドンでは仕事帰りに劇場に行って観劇できるので、都会っていいなあとしみじみ思います。ここにいる間に都会の楽しみ方も勉強して帰ろうと思っています。

第5回(2016年9月)

ロンドンの交通事情

折田 朋子

9月に入り、イギリスでは新学期が始まる季節となりました。UCLや自宅近くに小学校があって、7、8月の間は静まり返っていましたが、また元気な子供たちの声が聞こえるようになりました。こちらのラボも、新しいポスドクのメンバーが一人増え、少しにぎやかになりました。

さて、今回はロンドンの交通事情についてお話ししようと思います。私は現在マイカーを持っていないため、移動はもっぱら地下鉄かバスです。地下鉄は(どこの国もそうですが)とてもシンプルで、初めてイギリスを訪れた人にも使いやすい移動手段となっています。ただ、たまにストライキを起こしたり(その結果、地下鉄のベテラン運転手と大学教授の給料が同じくらいになった時期があったそうです)、路線工事のために駅が突然閉鎖になったり、信号の不具合で行き先が突然変わったりと、日本ではあまり考えられないようなハプニングが起こります。ですから絶対に遅刻できない用事があるときなどは、前もって地下鉄のホームページを確認し、駅が閉鎖してないかなどを念入りにチェックし、さらにかなり早めに出るようにしています。

地下鉄が機能していないとき、または目的地の近くに地下鉄の駅がない場合はバスを利用します。個人的にはいつも真っ暗なトンネルを進む地下鉄より、町の風景が見えるバスのほうが好きですが、渋滞にかかると全く進まなくなるし、地下鉄より時間が読めないという欠点があります。さらに、渋滞がひどくて後続のバスが追い付いてきている場合、次のバスがもうすぐ来るからそれに乗れ、といきなり停留所で乗客全員降ろされることがあります。最初はアナウンスも聞き取れないし、どうしてこんなところで降ろされたのかもわからず、途方にくれました。はっきり言って職務放棄だと思いますが、乗客の人たちはため息こそつくけれども特に文句も言わず、次のバスを待っています。

地下鉄もバスも運転がとても荒く、急ブレーキ、急発進は日常茶飯事だし、地下鉄なんかはスピード超過のためいつか脱線しやしないかと心配になるぐらいです。このように運転する側のマナーも良くないのですが、街ゆく歩行者も負けてはおらず、基本的には信号は無視しています。赤信号できちんと待っているのは観光客ぐらいで、地元の人間は赤信号でも車が来ないと判断するや否や、迅速かつ大胆に道路を渡り始めます。そうやって歩行者が信号無視して渡っている道路に、これまた猛スピードでクラクションを鳴らしながら二階建てバスが突っ込んでくるのを見るにつけ、よく事故がおこらないものだな、と感心してしまいます。

その次によく利用するのが(普通の)電車と飛行機です。電車は地下鉄と比べるとずっと運転が静かなので、安心して乗っていられます。しかし、列車が発車する15分前ぐらいまで、どこのプラットホームから出るのかがわからないため、電光掲示板の前に張り付いて待っていないといけません。そして結構ぎりぎりになってから掲示板に何番線から発車するとの情報がでるので、走ってそのプラットホームに向かう、ということが結構あります。これは飛行機にも当てはまり、直前までどこのゲートに行けばいいのかわかりません。乗客には2時間前に空港に到着しているようにとか言いながら、ゲートは直前まで決まらないし、飛行機も平気で遅れます。この国ではお客様は神様、ということは全くなく、サービスを提供する側が主体のようです。こういう経験をするにつけ、日本はおもてなしの精神が息づく、いい国だなあとしみじみ思う今日この頃です。

第6回(2016年10月)

ロンドンにおける日本食

折田 朋子

10月に入り、ロンドンは晩秋もしくは初冬を思わせる寒さです。朝晩の気温は一ケタ、吐く息は白く、霜が降りていることもあります。外は寒いのですが、地下鉄や建物の中はとても暖かく、着るものの調整になかなか戸惑います。一方で、台風や阿蘇山噴火など心配なニュースはたくさんありますが、日本はかなり過ごしやすい気候になってきたのではないでしょうか。

さて、今回はロンドンにおける日本食というテーマについて書こうと思います。ロンドンには世界各国のレストランがひしめいており、欧州料理やインド料理はもちろんのこと、レバノン料理やグルジア料理など、東京でもあまりお目にかかれないような国の料理を堪能することができます。その中でも日本食は栄養価が高くカロリーが比較的低いため、以前よりヘルシー志向の人たちを中心に人気を博しています。スーパーのお総菜コーナーやデリの棚には、サンドイッチやパイの隣に必ずお寿司のパックが置いてありますし、回転寿司やいわゆる居酒屋レストランは今やまったく珍しくもなく、あちこちにチェーン店があります。また、ここのところ空前の豚骨ラーメンブームらしく、一風堂や金田家などの名だたるラーメン屋の店舗を、ロンドン中心地となると通りごとに見つけることができるといった有様です。私も自分が作れないような和食がどうしても食べたくなったときに、たまにこのような日本食レストランにお世話になります。お味のほうは店舗によりけりですが、イギリス人向けに変にアレンジしたものでなければ、違和感なくおいしく食べられます。ただ、日本のものを海外で食べるとなると、当たり前ですがお値段もそれだけ上がります。

一度だけ行った回転寿司のお店では、4皿食べて£17(1ポンド=約130円なので、約2200円也)払うこととなり、鉄火まきやサーモンなどの普通のネタでこの値段かあ、と久しぶりにお寿司を食べた喜びも色あせてしまうほどガッカリしました。またある日は、私が愛してやまないモズクを買いに行けば、一パック£10(ただし量は多め)かかったし、ラーメン一杯も大抵£10~15します。ロンドンは基本的に、和食に限らずすべてにおいて物価が高いので、仕方がないと言えばそうなのですが、例えば日本では安くてもおいしいB級グルメなどがありますが、こちらでそういったものはなく(まだ私が見つけることができないでいるだけなのかもしれませんが)、安ければそれなりの(美味しくない)ものしか口にすることができません。改めて、日本っていい国だなあ、と思う今日この頃です。

第7回(2016年11月)

秋の年中行事

折田 朋子

寒くなってきましたが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。 イギリスの秋は足早に過ぎていき、あっという間に冬に突入しました。 10月でも十分寒かったのですが、今の寒さと比較するとまだマシなほうだったんだな、というのが身に染みてわかりました。広葉樹の多いロンドンは黄色や赤に色づきとてもきれいだったのですが、ここ2週間ほどで気温がさらにぐっと下がり、落葉してしまいました。気温そのものは一ケタで氷点下まではいかないのですが、風が強いせいか体感温度はさらに低く、手袋や耳当てがないと厳しい状況です。また、天気が悪い日が多く、日没も早くなってきたため、曇りの日などは夕方4時前からかなり暗くなります。夏至の頃は夜10時前まで明るかったのに、と悲しい気持ちになります。日照不足からくるうつ病に気を付けようと思います。

この時期のイギリスのイベントは、10月終わりのHalloween、11月5日のGuy Fawkes Night、11月11日のPoppy dayです。Halloweenは日本でもおなじみになってきていますが、こちらでも子供たちが魔女やモンスターの仮装をしたり、夜になるとゾンビやスカルのメイクをした若者たちとすれ違います。Jack-o’-lantern(かぼちゃのお化けのランタン)を掲げているお家はお菓子をくれるので、子供たちはそういうお宅を訪ねて行っては、”trick or treat!”と言って、もらったお菓子をバケツにためていきます。

Guy Fawkes Nightはこちらに来て初めて知りました。これは1605年11月5日にガイ・フォークスとその仲間のキリスト教徒たちが、当時の国王ジェームズ1世(彼はカトリック弾圧政策をとっていた)と議員たちを爆殺するために、国会議事堂にたくさんの爆薬をしかけたのですが、密告により計画は露見し、彼らは処刑されます。議会はこの日を“救済を神に感謝する日”とし、今では花火大会やかがり火を焚くお祭りとなっています。日本で花火大会といえば夏の風物詩ですが、イギリスではこの11月とNew Year’s dayにあるので、どちらかというと冬の催し物となります。ちなみに国際的ハッカー集団アノニマスがつけている仮面は、このガイ・フォークスがモデルだそうです。

11月11日は第一次世界大戦が終了した日で、戦没者を慰霊するための礼拝などが行われます。日本でいうと、8月15日と同じような感覚なのかな、と思います。Halloweenが終わったあたりから、テレビ番組に出演している人たちや、街ゆく人たちがポピーの花を模ったブローチを胸に飾るようになります。なぜポピーなのかというと、戦場の跡地に真っ赤なポピーが咲き乱れ、人々に希望を与えた、というところからインスピレーションを得ているそうです。なんだか素敵ですね。戦没者のための募金活動が行われ、寄付するとポピーのブローチがもらえます。

こういった年中行事とは別に、ここ最近はアメリカ大統領選挙についての報道がたくさんされています。テレビを見ていて、道行く人が選挙結果を知ると、軒並み“なんてことだ”“ひどい、あり得ない”とか、“あんなレイシストを大統領に選ぶなんて、アメリカ人はどうかしている”などと否定的な意見がよく出ていましたが、私から言わせてもらうと移民排斥のためにBrexitを選択したイギリスも同じ穴の狢なのでは?と思ってしまいます。世界は一体どこへ向かっているのか・・・。

第8回(2016年12月)

クリスマス

折田 朋子

日本もかなり寒くなってきたと思いますが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。 こちらではますます日が短くなり、正午でもすでに日が傾いているため(というより、そもそも日が高く昇らないので)、夕暮れ時と錯覚してしまうぐらいです。しかしここ最近のロンドンは、暖かい日は10℃前後あり、日本とあまり変わらないぐらいの気温なのではないかと思います。外は寒いのですが、屋内はセントラルヒーティングシステムのおかげで半袖でも過ごせます。私は日本のコタツも大好きなのですが、セントラルヒーティングも日本にあれば、空気も乾燥しないし便利なのになあ、と思う今日この頃です。

12月のイベントといえば、なんといってもクリスマスです。ロンドンでは11月中旬ごろから徐々に街がクリスマス仕様になっていき、ブラックフライデーが終わるとそれが一気に加速します。カフェやレストラン、お店や街路樹など、いたるところにイルミネーションやかわいらしい飾り付けが施されます。スーパーではツリーやリースが売られ、クリスマス専用のお菓子や料理が所狭しと並べられます。

ヨーロッパでは各国それぞれにクリスマス特有の伝統のお菓子があることが多いのですが、イギリスではミンスパイが有名で、どこに行っても必ず目につく場所に置いてあります。ミンスパイは一口サイズの丸いパイで、ドライフルーツにシナモンやナツメグなどといった香辛料が入った甘い詰め物に、十字や星を模ったパイ生地でふたをしてあります。もともとのミンスパイは、丸い形ではなくキリストのゆりかごを表す楕円形で、中身もミンスミート(ミンチ肉)が入っており、これがミンスパイの名前の由来にもなっていたのですが、時代とともに変化し、現在のパイになったようです。

広場や公園などではクリスマスマーケットが開催されるようになります。ツリーに飾るオーナメントのお店や食べ物やホットワインを売る屋台、移動式遊園地などが設けられ、連日多くの人で賑わっています。日本の縁日のような活気があり、見て回るだけでもとても楽しいです。

ただクリスマス当日はお店は閉まり、バスや地下鉄は動かず、みんなそれぞれの家で家族と過ごすため、ロンドンは死んだように静かになるそうです。イギリスは日本と違って、24時間営業や年中無休というお店は皆無で、不便を感じることも多々ありますが、こうやってみんなが家族一緒に過ごす日をつくるというのはいいことだな、と寒空の下、しんみり思いました。

第9回(2017年1月)

網膜芽細胞腫治療を目指して

折田 朋子

皆さま、明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

ロンドンではクリスマスと新年のお祭り騒ぎが終わり、一体何を楽しみに生きていったらいいんだ、という悲壮感を漂わせながら出勤する人たちに、地下鉄のストライキという、これまた出勤意欲を削ぐような事態が発生しましたが、幸いにも24時間でストは終了し、現在は平穏を取り戻しております。

さて、本日はお仕事の話をしようかと思います。私が現在取り組んでいるプロジェクトは2つあり、1つはボスである大沼教授が、発癌に関与しているのではないかと以前から注目している、OMDとPRELPという2つのプロテオグリカンについて調べることです。もう1つは、網膜芽細胞腫という小児にできる眼の癌組織を採取し、その細胞一つ一つの遺伝子を解析することなのですが、今日はこちらのプロジェクトについてお話しします。

元来、腫瘍はある1種類の癌細胞がどんどん複製され、悪性化すると考えられていました。もしそうであればその腫瘍に効く治療法で腫瘍細胞を一網打尽にできるはずです。しかしながら、順調に治療に反応して小さくなってきた腫瘍が、突然今までの治療に抵抗性を示すようになる事例がたくさんあることから、腫瘍の中には生物学的特性の異なる細胞集団が存在するのではないか、という考え方が一般的になってきました。例えば、ある腫瘍の中の主だった細胞集団が抗癌剤に弱ければ、抗癌剤を投与するとたちまち腫瘍は小さくなります。一方で、抗癌剤の効かない別の細胞集団は生き残り、今度はそちらが増殖してくる、といった具合です。こういった腫瘍の「不均一性」を明らかにするために、従来の腫瘍組織全体をひっくるめて平均化する解析ではなく、細胞一つ一つの特性を調べていく単一細胞解析という手法が採られるようになってきました。我が大沼ラボも、この単一細胞解析ができる装置を購入し、網膜芽細胞腫の研究に役立てようとしています。

現在、The Royal London Hospitalという病院と協力して、患者さんのご家族に同意をいただければ腫瘍組織の一部を回収しに行きます。それをラボに持ち帰り、細胞単位にまで細かくした後、単一細胞解析装置にかけます。

患者さんから提供していただいた組織を使用する研究は全てそうですが、倫理的な問題や様々な制約があるため、この研究は構想から実際に動き始めるまで4年半の歳月を費やしています。何度も病院の医師、看護師、病理学者、遺伝学者とも話し合いの場を持ち、なんとか始まったばかりのプロジェクトですが、これが将来少しでも網膜芽細胞腫の治療の一助になればと願わずにはいられません。

第10回(2017年2月)

リバプールといえば!

折田 朋子

2月に入りましたが、皆さまいかがお過ごしでしょうか?山口にいる家族から、庭に雪が積もった写真などが送られてくるため、日本では寒い日が続いているんだろうなあ、と思います。ロンドンも底冷えのする寒さですが、イギリス西部を流れる暖流のメキシコ湾流のおかげで緯度のわりには氷点下十何度とかになることはありません。雪もほとんど降らず、イギリスより南に位置するヨーロッパ内陸部のほうがよほど寒いぐらいです。このメキシコ湾流からの暖かく湿った空気は偏西風に流され、東部の冷気にぶつかり、霧の原因となります。実際この季節になるとよく霧が発生しており、霧の都ロンドンを体感できます(もっともこの名称の由来は、産業革命時の大気汚染のひどかった頃の様子をさしたものらしいですが・・・)。

この寒い中、先日リバプールへ観光に行ったので、今日はそのことについて書こうと思います。リバプールはイングランド北西部に位置する港湾都市で、ロンドン中心部より電車で約2時間半の場所にあります。もともとこの都市は大英帝国が植民地支配を強めていた18世紀ごろに、新大陸(北アメリカ)・アフリカ・イギリス間の大西洋三角貿易の拠点として大変栄えた港町でした。第二次世界大戦後は貿易業とイギリスの衰退に伴い、リバプールも斜陽化していきましたが、現在では観光都市としてその地位を復活させています。

リバプールといえばかの有名なザ・ビートルズの出身地ということで、かれらについての博物館、ビートルズ・ストーリーを訪ねました。土曜日とはいえ、この寒い中そんなに人はいないだろうと思っていたのですがそんなことはなく(さすが観光都市!)、入場チケットを買うまでに30分以上並びました。今後行かれる方は、オンライン予約をお勧めします。人の多さもさることながら、館内がとても狭いために入場制限を設けていたのも影響していたようです。館内は迷路のようになっており、音声ガイド(日本語対応あり)を聞きながら、メンバーの生い立ちやビートルズ結成から解散までのすべてがわかるようになっています。私の父はビートルズファンでしたが、私は世代ではないため曲は聞いたことあってもバンドそのものについてはくわしく知りませんでした。しかしこの博物館に行って、ビートルズのメンバーがいろいろ入れ替わった経緯があったこと、ポールは左利きのベーシストであったことなど、ファンならだれでも知っているようなことを初めて知りました。イギリスにいるとプランタジネット朝やらテューダー朝辺りの時代背景におのずと詳しくなりますが、たまには近代ロックについて勉強するのもいいなと思いました。

第11回(2017年3月)

この1年を振り返って…

折田 朋子

3月に入り、ロンドンでは気温はまだ上がりきらないまでも、葉のなかった木々に花がほころび始め、ああ、春が来たんだなあと感じる今日この頃です。日本は花粉の飛び交う季節になってきましたが、皆さま、いかがお過ごしでしょうか。 さて、いよいよ帰国する日が迫ってまいりました。ということで、私の書く留学記もこれがついに最終号ということになります。皆さま、長らく私の徒然日記のような、取るに足らない手記にお付き合いいただき、ありがとうございました。

思いおこせば去年の4月に渡英して約1年、最初は自炊すらままならずどうなることかと思いましたが、私にとっては長いようでやはり短かった1年でした。仕事としてはまとめるほどのものはできなかったし、英語もさっぱり上達しなかったけれども、日本ではすんなりいっていた実験がうまくいかないことで、実験の工程を根本から考え直す、本当にいい機会となりました。また、ずっと夢見ていた外国での生活、様々な文化や人との出会い、そして何よりも私らしさを取り戻せた1年だったと思います。日本では眼科医という仕事柄、一日中暗室にこもっており、帰宅するときもすでに日が暮れているため、その日の空がどんな色だったかを知らずに過ごすこともままあります。ここロンドンでは特に夏の間は日が長いため、地下鉄を降りてから家に帰るまでの道すがら、まだ空が明るいのが本当にうれしくて、空の写真をたくさん撮りました。また休日もほぼ完全に丸二日とれるため、小さな旅行に行ったり、鳥のさえずりや子供たちの声を聴きながら公園を散歩したり、そういうちょっとしたことがすごく幸せで、満ち足りた生活を送ることができました。ロンドンで過ごしたこの1年は、私の長い人生の中でキラキラした宝石のように輝く、特別な年になりました。

最後に、私の渡英当時は教授不在であった中、快く私を送り出してくださった木村新教授(渡英先での生活をスムーズに始められたのも、私の前にUCLに留学されていた木村先生と奥様のお陰です)をはじめ、迷う私の背中を常に押してくれた鈴木特命准教授、本来私がすべきであった仕事を肩代わりしてくれていた医局員の皆さま、また、公私ともに大変お世話になったUCLの大沼教授、英語でのコミュニケーションに問題を抱えていた私にいつも親切にしてくれたラボメンバーのみんなに、この場を借りて御礼申し上げます。ここでの経験や得られたものを生かして、日本でまた新たに頑張ろうと思います。皆さま、これからもどうぞよろしくお願い申し上げます。

留学体験記