長州藩を代表する幕末維新の才人・志士の多くは、藩の本拠地であった萩から生まれます。それは、これらの人々の多くが、日本史上の大思想家・吉田松陰先生の熱き救国の志を受け継いだからといえるでしょう。
「道の駅 萩往還」に建立の銅像(左より、高杉晋作、吉田松陰、久坂玄瑞)
萩生まれの吉田松陰は幼少の頃より秀才の誉れ高く、例えば、僅か9歳にして藩校明倫館の兵学師範を務めます。また、完全に純粋な公平無私の心、卓抜した行動力など、人々を魅了する性質を多く兼ね備えた人でした。その激動の人生は僅か29歳で幕を閉じますが、松陰先生の熱い想いは門下生に広く深く受け継がれ、その後、日本を動かす大きなエネルギーとなりました。
松陰先生生誕地の近くに建立の銅像
萩には、松陰先生が教鞭を執られた藩校明倫館や松下村塾、句碑や生誕地跡など、松陰先生に所縁のある史跡が数多く残されています。また、松陰先生の志を受け継ぎ、明治日本の近代化に大きく寄与した松下村塾門下生の旧宅なども数多く残されており、町全体が幕末当時の面影を色濃く残しています。
吉田松陰の教育者・玉木文之進の旧宅で初代の松下村塾
松陰先生が教鞭を執られた3代目松下村塾 ~外観~
松陰先生が教鞭を執られた3代目松下村塾 ~講義室~
松陰先生が投獄された野山獄の跡地